対戦成績の偏りが、顕著な組み合わせがあったりする。
ただ、勝敗のアンバランスさや、実力者がなかなか結果を出せないことに、ちょっとしたきっかけを振りかけることで、一気に状況が反転することは、よくあることではある。
そこで前回は谷川浩司九段に一度はたたかれた羽生善治九段の逆襲や、逆にどうやっても反転させられなかった島朗九段の例を挙げてみた。
こういうのは調べてみると、なかなかおもしろくて、昭和の将棋界では中原誠十六世名人と米長邦雄永世棋聖。
この2人は自他ともに認める「名人候補」だったが、タイトル戦ではなんと米長がシリーズ7連敗(!)。
そのうち3つがフルセットで、残りも米長は2勝しているから実力は拮抗しているのだろうが、どうしても勝てない。
それでも、不屈の米長は1979年の第20期王位戦に挑戦者として登場。
最終局を渾身の勝負手で大逆転勝ちし、8回目のチャレンジでついに宿敵からタイトル奪取。
そこからはタイトル戦で戦っても、シリーズ6勝7敗と互角の戦いに持ちこんでいる。
中でも、最後のタイトル戦となった第51期名人戦でストレート勝ちして初の名人を奪ったことは、森内「十八世名人」と同じく大きなボーナスポイント。
しかも、この名人戦は中原得意の矢倉と相掛かりを完全に研究で押さえこんだところもインパクトがあり、「泥沼流」で腕力が売りの米長が洗練された序盤戦術で戦ったことも話題を呼んだ。
自分のスタイルを変えてまで取りに行ったところに米長の「ガチ」を感じたわけだ。
それが顕著に感じられたのが第3局。
開幕戦で翻弄された中原流相掛かりに対して、角道を止めるのか消極的に見えてうまい対応。
攻撃特化で駒組みが偏っている先手は仕掛けを拒否されると、自陣に進展性がなく手詰まりになりやすい。
一方の後手は雁木や右玉風にかまえて「千日手オーライ」の体勢で待てばいいだけなので気楽なのだ。
この2人も実績では中原がタイトル64期に棋戦優勝28回。
米長はタイトル19期で優勝は16回と中原がハッキリ上だが、「両雄並び立つ」な感じになっているのは、キャリア初期以降は「勝ったり負けたり」しているからだろう。
中原関連と言えば、さらに極端な例があって、これが加藤一二三九段。
今では「ひふみん」としておなじみで、「おもしろ」を売りにしているが、かつては
「神武以来の天才」
と呼ばれた大棋士。
ただ、若手時代は大山康晴(タイトル80期、優勝44回)、中堅になって以降は中原誠と(タイトル64期、優勝28回)、歴史に残る大天才がいたせいで、そのポテンシャルほどの実績は残していない印象(タイトル8期、優勝23回)。
それは棋才の差というよりも、持ち時間の使い方や、使用する戦法のかたよりなど「勝ちにくい」棋風であったことが原因だろうが、その通り加藤は中原にヒドイ目にあっている。
1968年の初対戦で中原(20歳)が勝つと、2戦目では加藤(28歳)がお返し。
さすがは「2人の天才」。ここからもいい勝負が続いていくのかと思いきや、あにはからんや。
なんと、その後20局はすべて中原が勝利。
加藤は信じられないことに、「20連敗」を喫することになるのだ。
これまた実績だけで言えば、加藤よりも中原の方がタイトルや優勝回数はかなり多い。
だが、それにしたってあり得ない数字で、私だったら荷物をまとめて、とっととコーヤコーヤ星あたりで開拓民として第2の人生でも歩みたくなるところだ。
だが、そこでくじけないのが加藤一二三のすごいところ。
その後はコツコツと星を返して、トータルでは41勝67敗まで押し戻す。
最初の20連敗以降は、ほぼ五分に戦っているのだから、それまではなんだったのか。
タイトル戦でも最初の名人戦こそ4タテで一蹴されたものの、次の十段戦は2年連続でフルセットまで持ちこみ健闘。
それからはタイトル戦でシリーズ4勝2敗と勝ち越し、悲願の名人位まで奪っているのだから、ますますなんでやねんである。
今でも、永瀬拓矢九段や伊藤匠叡王も藤井聡太七冠に対戦成績では大きな差をつけられているが、10年後、20年後にはどうなっているか、わからないということだろう。
その意味では今回の王座戦は伊藤が、さらに「押し戻す」ことができるか注目である。
★米長が中原に初めて勝ったタイトル戦がこちら。