ガンラトャチ棋聖の将棋博物館

阪田三吉から藤井聡太までヴィンテージ対局・名局紹介・雑談を発信しています

藤井システム「ファーム落ち」後の試行錯誤 藤井猛vs丸山忠久 2004年 王座戦 ほか 

 (YouTube書き起こし)

 

 こんばんは、岡田斗司夫ゼミの時間です。

 今日もね、ガンダム講座やって行こうと思うんですけど。

 『機動戦士ガンダム』ってね、元ネタとしてロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』と『月は無慈悲な夜の女王』があげられるんですけど、実はもうひとつあるんですね。

 それが将棋の居飛車と振り飛車の対抗形で、特に居飛車穴熊の棋譜なんですよ。

 (パネルを出して)たとえばこのシーンなんですけど、

 

 

 シャアがザクでホワイトベースを追いかけてくるのに、アムロでガンダムを出すんですけど、


 「このスピードで迫れるザクなんてありはしません。1機のザクは通常の3倍のスピードで接近します!」


 このオスカーのセリフって、まんま久保利明九段なんですね。

 ほら、久保先生って通常の3倍の速度で、さばくじゃないですか。だから、「さばきのアーティスト」って言われるんですけど。

 で、それに新人棋士が対抗するんですけど、全然スピードについていけないんですよ。


 「見せてもらおうか、連邦軍のモビルスーツの性能とやらを」

 

 

 

 

 


 この「連邦のモビルスーツ」は、穴熊のメタファーですよね。対振り飛車用の新兵器。でも、まだみんなその強さがよくわかってない。

 だから、久保先生も余裕なんですね。ところが、マシンガンを撃っても全然通らない。


 「……バカな、直撃のはずだ!」


 そりゃね、効くはずないんですよ。四枚穴熊に軽くさばく棋風は火力が圧倒的に足りない。左美濃や舟囲いとはちがうんですよ。

 で、反撃された久保先生も、


 「当たらなければどうということはない!」


 とか言って、まあそれはそうなんですけど、逆に言えば一発でも「当たったら終わり」なんですよ。


 なんせむこうは「穴熊の暴力」っていうビーム兵器を持ってるから、100点の対応しないといけない。これは、つらいです。

 

 

 

 

 


 「い、一撃で! 一撃で……撃破か!」

 

 

 

 


 量産型の振り飛車党が瞬殺されて、久保先生もおどろいてます。撃ったアムロすらひいてる(笑)。


 「一撃で……ザクを……」
 

 そりゃあ、久保先生もボヤきたくなりますよね。


 「連邦のモビルスーツは化け物か」

 

 振り飛車党の人はね、もう痛いほど気持ちがわかると思うんですけども。

 このへんね、深読みしなくてもみんな、わかっちゃうわけですよ。

 

 「富野さん、マイナビから出てる『居飛車穴熊名局集』読んだな」って。


 だって、その後にブライトがこんなこと言うんですよ。


 「ガンダムの性能を当てにしすぎる。戦いはもっと有効に行うべきだ」


 この苦言、完全に居飛車穴熊のことでしょ。

 やっぱ言うじゃないですか、最初は急戦やれとか。玉のうすい囲いで戦って、腕力を身につけろとか。それと同じ。

 このあたり、ちょっと元ネタを隠しきれてないところが、富野さんもまだ若かったんだなあって。

 それくらい、居飛車穴熊ってのはすごいインパクトがあったんですね。だから、藤井猛九段とかも必死になる。

 これ、結構有名なんですけど、あんまりだれも取り上げないんで、ちょっと今日は、そのことを言いたかったんですね、ハイ。

 

 

 

 

 前回の続き。

 振り飛車に、いや将棋界に革命をもたらした「藤井システム」。

 この画期的すぎる新兵器を駆使し、藤井猛九段は新人王戦優勝から竜王獲得と、無人の荒野を行くがごとくの勝ちっぷりを見せていた。

 そのもっとも輝かしい栄冠こそが「一歩竜王」で知られる、2000年の第13期竜王戦での劇的なフルセットの防衛劇。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 結果もさることながら、


 「あの羽生善治に藤井システム撃破をあきらめさせた」


 という意味では、単に勝ったという以上の、とほうもない大きな評価を得たといってもよかった。

 このころはまさに勢い的にも「システム無双」の時代だったが、その後は居飛車の研究も進み、少しずつ陰りが見えはじめる。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 以前ほどには気持ちよく勝てなくなり、やがては藤井自身の言葉を借りれば「ファーム落ち」を余儀なくされてしまった。

 ただ、システム自体は登板機会が減ったものの、そこは天下の藤井猛のこと。

 まだまだアイデアはあふれているもので、たとえば2005年の王座戦。丸山忠久九段との一戦。

 後手が四間飛車から、まずはシステム模様に組むも△74歩を突いてから、△64歩を保留する工夫を見せる。

 

 

 


 これだと角筋を生かして△65歩の仕掛けがないから、居飛車穴熊に組まれてしまいそうだが、藤井は▲36歩の「牽制球」を投げさせたうえで、△32飛から△51角と転換。

 △35歩と△73角ののぞきで3筋のさばきを見せ、潜らせんぞと、ゆさぶっていく。

 ならばと丸山も角を転換して、▲37角とこのラインを先着。

 

 

 


 △64歩と突いてない手をとがめて、△73桂は桂頭が寒いし、△73銀は美濃囲いがくずれてしまう。

 △73角も▲同角成から▲24歩があって、後手が困っているようにも見えるが、次の手が、まず思い浮かばない手である。

 

 

 

 


 △93香とかわすのが、「えー!?」と言う手。

 ▲91角成と馬を作れそうだが、それには△73銀で帰路を封鎖。

 そうしておいてから、まあ1回2筋とか受けといて、△73角、△72金(玉)、△91銀で馬を取ってしまおうというねらいだ。 

 


 一応、説明されたらわかるけど、ようこんなん思いつくなあというか、思いついても指さないって。

 丸山も目が点になっただろうが、角は成らずに▲46角と慎重に対応。

 そこで△35歩、▲同角、△34飛と一転「さばきのアーティスト」久保利明九段のごとき、振り飛車のお手本のような軽快さを発揮。

 

 

 

 ▲46歩に△73角と、このラインを押さえて、▲48飛、△45歩、▲78金、△33桂、▲18香、△44銀。

 

 

 

 

 駒がすべて使える全軍躍動で、これは振り飛車充分であろう。結果も藤井が勝ち。

 
 続けてもうひとつ。2007年の王将戦。石川陽生六段との一戦。

 ▲76歩、△34歩、▲26歩、△54歩。

 

 


 後手の藤井がゴキゲン中飛車を選択。

 このころゴキゲンは穴熊封じに有力ということで、振り飛車党のみならず、羽生善治や谷川浩司など居飛車党も指していたが、藤井のそれはめずらしかった。

 

 
 「ゴキゲン中飛車を指す気はないですね。いや、こんな断言しちゃったら、あとで指したくなったとき困るかな(苦笑)」

 


 なんて内容のことをインタビューで語っておられたが、要は作戦として優秀なのは認めるが、自分が発見したわけでなく「流行っているからやる」みたいになってしまうのに抵抗があったのだろう。

 そんな男が、わざわざ持ってきたとなれば、それはもうきっと、一味違う指しまわしが期待できるわけで、実際その通りとなる。

 

 

 


 図は石川が2筋の歩を交換したところ。

 ふつうなら△23歩と打つところだが、ここでも藤井は予想を裏切ってくるのだ。

 

 

 

 

 


 △13桂(!)と跳ねるのが、なんと言う手か。

 俗に「振り飛車は左桂が命」と言われるが、それを逆方向に背面跳び。

 これでは桂馬が中央に使えないし、グズグズしてると▲16歩から▲15歩と桂頭を攻められてしまうのが嫌味だ。

 その通り、石川は▲16歩と圧をかけるが、そこでヒラリと△44角。

 

 


 
 飛車道を受けないどころか、どうぞ成ってくださいと。

 まあ、▲21飛成なら△22銀とフタをして、△31金から生け捕りにしようということなのだろうけど、それにしても大胆で挑発的だ。

 ▲46歩に△26歩と、こっちから飛車先を止めれば、なんとなくねらいは見えてくる。

 

 

 

 以下、先手が1筋を破っている間に飛車を転換し、逆に2筋を制圧してしまった。

 

 

 将棋自体はまだまだこれだからだが、逆桂から飛車先突破というロマンあふれる手順を実現させた後手が気持ちいいのはたしかだろう。

 将棋の方も、熱戦の末に藤井が勝利した。

 

sharon106.hatenablog.com


 

「居飛車穴熊」か「急戦」か? 藤井猛vs羽生善治の藤井システム興亡期 その2

 

 

 

 前回の続き。

 90年代後半から2000年代前半に猛威を振るった「藤井システム」。

 だが居飛車側も負けておらず、未知の作戦に様々な「人体実験」をくり返しながら対応策を練っていく。

 それが「穴熊と見せかけて▲36歩」で、これが後のベースとなる形。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 このあたりの歴史は勝又清和七段の『最新戦法の話』という本でまとめられているので参照すると、これが2003年の羽生ー森内の竜王戦。

 

 



 ここでまず森内は▲77角と上がり「穴熊行きゃッス」。

 羽生は△64歩で「ほい、藤井システムで迎撃!」。

 

 ここからが化かし合いのスタート。



 森内「あ、そうですか。じゃあ急戦で▲36歩」

 羽生「やべ。居玉じゃもたねーや。△62玉」

 森内「居玉捨てるんだ。やっぱ穴熊にしまーす。防げるもんなら防いでみろや、と▲88玉」

 

 

 

 

 羽生「うーん、△62玉は戦場に近くて、△65歩とか△85桂とか、やりにくいんだよなー。こういうとき後手番はツラいぜ」

 森内「オラ、来いよ。反撃されるの怖いのか? ピッチャーびびってる、ヘイヘイヘイ!」

 羽生「だー、ムカつくぜ! でも、実際問題として、急戦と穴熊の二正面作戦となると、とても対応しきれないなあ」

 

 森内「おっしゃおっしゃ、ねらい通り。ま、こっちはアンタの駒組み次第でどっちでも戦える用意はしてあるんだ。せいぜい悩んでチョーダイ」

 

 羽生「とりあえず、玉囲うしかないか。あーあ、そんなことやってるうちに、穴熊に組まれちゃったよ」

 

 

 

 

 みたいな、無言の駆け引きがあるということ。

 これは前回の佐藤康光や丸山忠久のように一度はつぶされながらも、そこでしっかり間合いを測って「これなら潜れる(あるいは急戦で行ける)」というタイミングを見つけ出した結果なのだ。

 この将棋も、ガッチリ組んだ森内が勝ち。

 藤井システムは△64歩、△74歩、△73桂の「超攻撃型布陣」を敷いているわけだが、それは急戦に来られたときに不要どころか、下手すると悪形になったりする。

 居飛車はそれを見越して

 

 「ウリウリ、急戦行っちゃうぞー」

 

 と脅しをかけて、相手が妥協した駒組をすれば「やーい、ホントはこっちだよー」と穴にもぐろうと言うわけだ。

 思い出すのは、子供のころ読んだ水島新司先生の『ドカベン』。

 群馬代表の赤城山高校に木下くんというピッチャーがいるんだけど、これがなんと両手投げ(!)。

 

 

 

 



 リリースの瞬間まで左右のどっちで投げるのかわからない超変則投手で、明訓高校のスラッガー山田太郎を苦しめるが、これこそまさに「急戦か穴熊か」。

 「どっちだ」「右だ」「あっ」で、バットが出ないのだ。

 先手番なら策もあるが、一手遅れている後手番だと、このゆさぶりに対応するのがむずかしい。

 藤井も懸命に対策を講じ、互角以上に戦っているのはさすがだが、徐々に押されはじめてくる。

 それはやはり、各所で勝又が言うように、


 「振り飛車のつらいところは、羽生をはじめ、谷川、森内、佐藤康光、郷田、丸山、渡辺というトップ棋士が全員敵で、新研究をたずさえ束になって襲ってくるから」


 その通り、この急戦バトルに、またもや難敵があらわれる。

 それが▲55角という手。

 

 



 △64の歩をねらった単純な手だが、これがなかなかな効果を発揮する。

 なにもせず△64の歩を取られると、駒損のみならず△65歩の仕掛けどころか、△74歩、△73桂の形が作れなくなり、穴熊に組まれるのを防ぐことができなくなる。

 ならばと、受けるなら△63金か△63銀、あるいは△65歩と突くことになる。

 金か銀で守るのは、その瞬間にすかさず▲35歩から仕掛ければ、後手陣は陣形が乱れていて苦しいはずと。

 となると残るは△65歩。

 

 

 

 

 これなら金銀が低いままなので、急戦にも対応できるぞと思いきや、これだと▲88玉から穴熊に囲われたとき、それを止めることができない!

 

 

 先手玉が固いのは当然として、これでは

 

 「よっしゃ、組めた!」

 「うわー、組まれたかぁ」

 

 という精神的な優劣も差が出てしまう。

 せめて、一番マシそうなのは△63銀ということで、まずだいたいはこれを選ぶのだが、△82の空間がいかにも頼りなく、いつもで飛車とか角とか銀とか打ちこまれそうで大変。

 

 



 

 またこの形は、藤井に


 「もうこの戦法は指せない」


 と言わせるほどの大きなショックをあたえた一局があり、システムはどんどん追い詰められていく。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 これは余談だが、藤井がシステムを研究されて悩んでいるとき、そのとどめを刺したのは羽生なわけだが、その羽生自体もこの時期にシステムを採用。

 2戦2勝で、しっかり結果を残している。

 居飛車を持っても3戦3勝で、勝又曰く、

 


 「藤井にしてみれば、羽生は一人で研究し、一人で試し、一人で結論を出し、一人で結果を持って行ったわけで、たまったものではありません」

 


 これは羽生の「あるある」で、彼は画期的な新手や新戦法といわれるものを、その旺盛な好奇心から堂々と受けて立ち、しかも勝つ。

 どころか、今度は自分がその戦法を試し、ときに本人以上のクリエイティビティを発揮し、しかも勝つ。

 

sharon106.hatenablog.com

 


 「不思議だなあ。あなたが発明した戦法なのに、あなたより僕の方がうまく使えるみたいだ」

 


 控えめに言って鬼である。とんだNTRだ。

 藤井は羽生についてインタビューで、

 


 「盤上で負かされるだけでなく、心を折られる恐ろしさ」

 


 と語っており、またあるトップ棋士も、

 


 「羽生さんと戦うのは大変。本人がとてつもなく強いだけでなく、その前に『また負かされるのではないか』と揺れる自分の心と戦わないといけないから」

 

 

 今なら、羽生のところを「藤井聡太」に変えれば、現在彼と戦わなければならない棋士たちの気持ちが、少しは想像できるというものだ。


 ただ、そんな羽生がめずらしくボコられた将棋があって、それがこれ。

 2004年の竜王戦で、森下卓九段との一戦。

 

 


 教科書通りの「藤井システム」。

 羽生は藤井猛から、

 

 「システムを使うのがうまい、2番目にね(笑)」

 

 と認められている男だが、次の手が初めて見たときはコケそうになったもの。

 

 

 

 

 ▲86歩。

 玉頭に穴ぼこを開ける手で、良さそうには見えないし、△84歩から△85歩とされると、かえって後手の攻めに勢いがつかない?

 当然、後手は△84歩だが、そこで▲98香。

 △85歩に▲99玉(!)。

 

 

 

 

 △86歩と8筋を破って成功のようだが、そこで▲86同角でなく▲88銀とハッチを閉めるのがねらいだった。

 

 

 

 これで、あとから▲86角と取って、▲87歩と補修すれば穴熊のできあがり。

 

 

 


 なんちゅう手順やとあきれるところだが、これでシステムを相手にして穴熊に組めるのだから、後手からすればやってられない。しかも、後手は居玉のまま。

 将棋の方も、この手順に当てられたか羽生らしくない拙戦で敗れる。

 こうして、あらゆる角度から対策が飛んできて、藤井システムは昔ほど気持ちよく勝てなくなった。

 そして本人の言葉を借りれば「ファーム落ち」になり、その後は角交換四間飛車や「藤井矢倉」(!)なんてのも出てくるようになり、その戦いは続くのであった。
 
 

(続く)

sharon106.hatenablog.com

  


 

「居飛車穴熊」か「急戦」か? ▲36歩と△62玉 「羽生世代」と藤井システム興亡記

 

 

 

 

 前回の続き。

 1996年に登場した「藤井システム」は将棋界に大革命をもたらした。

 その後、しばらく完成させるまで「温存」していた時期があったが、新人王戦の優勝や、藤井猛九段のキャリアを語るうえではずせない「竜王獲得」など大活躍。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 90年代後半から2000年代にかけて、「もう、藤井が全部持って行くんじゃないか」という勢いで、勝ちまくったのであり、前回は棋戦初優勝を果たした新人王戦の決勝を見ていただいた。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 システムのやっかいなところは、有効な対応策が、なかなか見つからなかったこと。

 それはそうであろう。なんといってもこの戦法は、藤井猛がたったひとりで作り出したもの。

 もちろん、そこには過去のあらゆる振り飛車のエッセンスが詰めこまれてはいるが、そのオリジナリティーあまねきため「設計図」が藤井の頭の中にしかなかった。

 まさに第一次大戦における戦車やマシンガンのような、見たこともない「新兵器」であり、そう簡単には急所をつかませなかったのだ。

 かつて振り飛車退治を得意としていた森下卓九段は、

 

 「振り飛車には、左美濃と穴熊を交互にやっていればいい」

 

 と言っていたそうだが、そんな牧歌的な時代はとっくに終わってしまったのだ。

 作戦のむずかしさは、かの「一歩竜王」であまりにも有名な伝説の「12番勝負」となった2000年の第48期王座戦と、第13期竜王戦に表れている

 

sharon106.hatenablog.com

 

 このシリーズでどっぷり藤井と戦うことになった羽生は、先にはじまった王座戦でミレニアム、穴熊志向、串カツ囲い(▲99香、▲98玉の米長玉での穴熊風布陣)など持久戦志向で戦うが、ペースをつかめず1勝2敗と追いこまれてしまう。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 そこから、急戦にシフトしてなんとか防衛したが、竜王戦では「先手番で勝率9割」を誇る穴熊を捨てざるを得ず、また左美濃はシステムに狙い撃ちされ、作戦に苦慮していた。

 シリーズ自体は双方防衛で五分だが、「打倒・藤井システム」に失敗したのは羽生の痛手で、正直「藤井が大きく名をあげた」結果となった。

 だが、どんなすぐれた作戦でも、永遠に勝ち続けることはできない。

 徐々に対応策も飛び出してくことになり、まず採用されたのは先祖返りの急戦。

 持久戦がダメならというシンプルな思想だが、そもそも急戦はすぐれた戦法で、穴熊や左美濃が優秀すぎたため数が減っただけ。

 いわば「大阪桐蔭だから控え」のピッチャーみたいなもので、登板機会さえあたえられれば十分以上に活躍できるのだ。

 事実、先の12番勝負で羽生は急戦を5度マウンドに送っているが、なんと全勝している。

 あの「一歩竜王」の最終局も、もし振り駒で羽生が先手を引いていたら急戦を使って「竜王奪取」になっていた可能性は充分にあり得たのだ(しかしトップレベルだと先手後手の差が大きすぎだなあ……)。

 さらに研究が進むと、今度はこれで「裏を取れる」かもしれないことが、わかってきた。

 たとえばこの図。



 

 


 後手は居玉で、ガッツリ「藤井システム」。

 ここで▲77角と上がれば持久戦志向で、あわよくば居飛車穴熊。

 後手はそれを阻止すべく△74歩から△73桂とかするのだろうが、次の手が振り飛車を苦しめるようになる。

 

 

 

 

 


 ▲36歩。

 このタイミングで、急にコースを変えるのが有効だった。

 後手が「でも、どうせ穴熊でしょ?」とばかりに△74歩なら、すかさず▲35歩から急戦に持ちこむ。

 玉頭戦なら、あらかじめ戦場から遠ざかっている居玉はベストポジションだが、ここで仕掛けられると、とんでもなくヒドイ位置になっているのは私のような素人でもわかる。

 

 

 なので後手は、一回は△62玉と上がるしかない。

 

 

 

 

 それでも、かまわず▲35歩と仕掛けられると、美濃に入ってない後手はなかなか強い戦いができない。

 

 

 

 

 後手陣は寄せ合いになると、▲82銀の一発で玉の逃げ道がなくなりそうな形で、なにかと神経を使う。

 将棋自体は激戦の末に藤井が勝ったが、攻められながら△71玉、△82玉と逃げる手を指さざるを得ないなど、普通の急戦よりも苦労が多くなってしまう。

 

 

 

 

 また、それ以外でも▲36歩と突いて「急戦行くぞ」の合図を出し、「やべ、逃げとこ」と△62玉とさせてから、反転して穴熊を目指す手もある。


 

 

 これなら、後手玉が一路戦場に近づいてるため、神経を使うことになるでしょ、と。

 これもまた藤井が勝ったが、居飛車側も「実験」をくり返しながら、ヒタヒタと背後からシステムをつけねらう。

 このあたり、振り飛車が先手か後手か、銀の位置が△43か△32か、端歩は突きこしてるのか△94歩で保留か。

 そういった細かい要素が山ほどあって、とても私レベルでは手に負えないが、ともかくも先手は急戦を振りかぶってシステムを牽制し、その対応を見て仕掛けるか、穴熊を目指すかを決めて戦う。

 一時期、とにかく対抗形ではこの「▲36歩・△62玉」のワンセットは親の顔ほど見たくらい。

 たぶんシステム使いの方は今でも、パブロフの犬のごとく▲36歩にノータイムで△62玉と上がる人がいると思われるがどうか。

 

(続く)

sharon106.hatenablog.com

「藤井システム」スズメ刺し編 藤井猛vs丸山忠久 1996年 第27期新人王戦 決勝戦第3局 その2

 前回の続き。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 1996年の新人王戦決勝3番勝負は、前年度チャンピオンの丸山忠久六段と初優勝をねらう藤井猛六段が1勝1敗と星を分け合って最終局へ。

 決戦は「穴熊」vs「藤井システム」の流れから駆け引きがあって、相居飛車戦になるという不思議な戦いとなった。
 
 
 
 
 
 図は先手が▲55歩と突いたところ。
 
 これに△同歩と応じたが△同角もあるところで、藤井は▲38飛から▲35歩をねらわれるのを嫌がったが、それには角の位置エネルギーを生かして攻める手があった。
 
 △96歩と突いて、▲同歩、△同香、▲同香、△同飛、▲98香。
 
 
 
 


 これまたおなじみの筋で、飛車が死んでいるように見える。
 
 △86飛にも、▲97角が王手飛車。

 これでうまくいかないと藤井は切り捨てたが、実は▲98香の局面で一発△97歩と打つ手があった。

 
 
 
 
 ▲同香とスペースを埋めつぶしてから△86飛なら▲97角が打てず、これなら後手もおもしろかったのだ。
 
 ▲55歩、△同歩、▲35歩、△同歩に▲77金寄が「丸山らしい」と評判の手。
 
 
 
 
 
 じっくりと金銀を連結させ、穴熊の戦い方を知り尽くしているような一着。

 こういう呼吸はわれわれも、ぜひ身につけたいところで、地味ながら勝率アップ間違いない感覚だろう。
 
 藤井も「一番嫌でした」と警戒していた手で、これがあったから▲55歩は△同角と取るべきだったのだ。
 

 

 「相手に有効手がない局面で手を渡す」
 
 
 という羽生善治九段がもっとも得意とする展開を丸山もまた、若手時代からマスターしていたのだ。
 
 やる手がなく困った後手は△75歩からイヤミをつけていくが、丸山は馬を作ってあせらせていく。
 
 先手有利で進んでいたが、後手も端に手をつけてから△22玉と固めチャンスを待つ。

 


 後手の銀桂香が不安定な形で、なにかうまい手を食らうと、馬で根こそぎ取られてしまいそう。

 その局面で△22玉と手を渡すのは相当怖かったろうが、このガマンに丸山がついに誤った。
 

 


 


 
 
 この局面で▲47歩と打ったのが疑問手。

 角が逃げれば▲73馬から後手の攻め駒をボロボロ取って勝ちだが、なんとなく筋が悪そうな手にも見える。
 
 ここでは同じねらいでも▲82馬と入り、△51飛に▲55歩と止めておくのが良かった。

 


 これで後手の銀桂香が完全にブラになってしまう。 


 桂馬を守って△64銀とするくらいしかないが、▲74歩、△57角成、▲73歩成、△56馬、▲62と。
 
  
 

 

 この飛車銀両取りがきびしく、先手が勝勢だったのだ
 
 丸山からすれば、優勢だし安全にいこうとしたのだろうし、それがまた「激辛流」と呼ばれたゆえんだが、今回はそれが裏目に出た。
 
 ▲47歩には△81飛と切り返す手があり、▲93馬なら一瞬は香損でも△73の桂が安全になるから、△51飛、▲55歩に△57角成が成立するのだ。
 
 

 

 これは先手の馬が遠く、飛車銀桂の攻め駒がいじめられないので、後手が軽い形。 
 
 辛く勝つつもりで打った歩が、こうなると1手パス以上の大空振りで、これはらしくないミスとなった。
 
 △81飛には▲46歩と取るしかないが、△83飛と角の交換になって、これが急所の馬を消された先手が大きく損をしてしまった。

 

 

 

 

 これは馬で押さえこまれそうなのがサッパリして、後手の足が軽い。
 
 丸山からすれば、ここで手番が回ってくるので勝てると思ったそうだが、藤井を精神的に楽にさせてしまったのは誤算だったろう。
 
 以下、△54角と打ったのが「打ちたくてしょうがなかった」というド急所の一撃で、ここでは後手が優勢になっているだろう。
 
 
 
 
 
 ▲65歩は△18角成から△28飛で後手の攻めがわかりやすい。

 そこで「両取り逃げるべからず」の▲25歩だが、△76角と取ってから△85歩と急所のラインに手をつけて筋に入った。
 
 
 
 
 
 そこから後手は自陣の駒を取らせている間に、8筋の金銀を歩でボロボロはがし差を広げていく。

 非勢の丸山だが、1手空いたスキを突いて▲26桂と反撃。
 
 
 
 

 

 これがかなりきびしい手で、駒を渡すとトン死の筋も見えて、かなりプレッシャーをかけられている。

 初優勝にむけ「フルえ」とも戦わなければならない藤井だったが、次の手が決め手になった。

 

 

 

 

 

 

 △43角と打つのが攻防にピッタリの決め手。

 △34の金を守りながら△86歩のねらいもあって、きれいにまとめた。

 藤井によると、ここで先手の手番なので、▲41銀が油断ならないぞと対策を考えていたのだが、なんのことはない。
 

 


 △63に角がいるから、▲41銀は△同角で無効なのだ。
 
 角が△85あたりにいるならともかく、2マスしか離れていないのにわからなかったとは、優勝を前にして藤井もアガッていたのかもしれない。
 
 ここからは数手で丸山が投了。
 
 IBM杯(順位戦昇級者を選抜した大会)、全日本プロトーナメントと決勝で敗れていただけに、藤井にとってうれしい勝利となった。
 
 この後、藤井は新人王戦で無類の強さを発揮し、翌年には畠山鎮を、その2年後には竜王を手土産に堀口一史座を決勝で破ってV3を達成するのだった。

 

(藤井システム攻略編に続く)

sharon106.hatenablog.com

 

「藤井システム」第2号局は相居飛車? 藤井猛vs丸山忠久 1996年 第27期新人王戦 決勝戦第3局

 

 




 

 

 前回の続き。

 1995年のB級2組順位戦。

 井上慶太六段との一戦で、初お披露目となった振り飛車の救世主「藤井システム」。

 これまで振り飛車党をカモにしていた居飛車穴熊が、一転して「狩られる」側に回るという大逆転劇。

 となると、ここから藤井猛六段が、これを駆使して一気にトップへと駆け上がっていったと思われるかもしれないが、これが実はそうでないのがおもしろい。

 その第2号局までには、また深い試行錯誤があったようで……。

 

 

 1996年の第27期新人王戦は、丸山忠久六段と藤井猛六段が決勝に上がってきた。
 
 丸山は2年連続の優勝を、藤井は棋戦初優勝をかけての三番勝負は1勝1敗で最終戦にもつれこむ。
 
 決戦となった第3局は、後手になった藤井の四間飛車に丸山は早々の穴熊を明示。
 
 それに対して後手は、なんと「藤井システム」。

 と言うと「なんと」ってなんやねん。藤井猛がシステム使って、おかしいことはなかろうと思うかもしれないが、なにを隠そう、これが「藤井システム」の第2号局。

 

sharon106.hatenablog.com



 しかも伝説となったB級2組順位戦、対井上慶太六段との「お披露目」から11か月も経ってのことだったのだから、多少大げさな表現だとしても、ゆるしていただきたい。

 では、なぜにてあの鮮烈な圧勝劇から、ここまで1年近くも封印されたのか。

 藤井としては「いける」という手応えがあったため、これを主力として育てたかったからだそう。

 

 それにスピードが命のシステムは、先手番では使えても、後手番ではまだ未完成だった事情もある。

 


 もっと現実的な話もすれば、勝又清和七段のインタビューで藤井が、

 

 「当初は人目を気にしていたので、なかなか本格採用しようとは思ってなかったです。居玉で負けたら恥ずかしいし、プロだから馬鹿にされるとつらいじゃないですか」

 

 「常識を打ち破った」ことが称賛される藤井システムだが、その登場までに葛藤があったようなのだ。

 それにしても、一世を風靡し、歴史を大きく変えたこの戦法を当初は

 

 「人目を気にしていた」

 「居玉で負けたら恥ずかしい」

 

 と思っていたというのだから、「常識」や「同調圧力」を振り払うというのは、藤井レベルの独創と意志を持ってしても、むずかしいのだなと感じ入る。

 こういった様々な壁を乗り越えて、2度目の登板になったシステムだが、これも藤井に言わせると、

 

 「でも、普通の振り飛車では丸ちゃんに勝てないと思った。だから、居玉のシステムを使わざるをえなかったというのが正直なところです」

 

 緊急避難というか、不本意な作戦というのだから、何度も言うが「常識」とやらに対抗するのは大変であるなあ。

 

 

 

 図は居玉のまま△73桂と跳ねる、システムではおなじみの形。

 形は桂跳ねを防いで▲66歩だが、それは角道を止めさせて振り飛車が満足な形。

 そこで丸山も▲55角と出るゆさぶりから、速攻を牽制。

 将棋の手はもちろん善悪で判断するのだが、もうひとつこういう、

 

 「そんな手を通させるのはシャクだ」

 「お前だけをいい気持にはさせないぞ」

 

 という感情的な(もちろん読みの裏付けがあってのことだ)やりとりも見どころのひとつである。

 かけひきの末にでき上ったのが、この局面。
 
 
 
 
 
 
 なんと藤井はシステムから変化して「ツノ銀スズメ刺し」とでもいう珍形に持って行ったのだ。
 
 先手は▲88に角がいるのが、うすい形。
 
 後手は飛角桂香の火力を端に集中して、そこをねらっており、藤井によると小林健二九段の将棋を参考にしたらしい。

 そう、こないだまで見ていただいた「スーパー四間飛車」である。

 

sharon106.hatenablog.com


 
 このまま、いいタイミングで△65歩、△96歩、△85桂を組み合わせて攻められるとつぶされる。

 素人目には、この攻めを受け切るのは大変そうに見えるが、ここで丸山が見せたのが地味ながら、藤井を感心させた一着だった。
 

 

 

 

 


 
 ▲77角と上がったのが、うまい手。
 
 といわれても、なかなかピンとこないが、要は先手としては▲88の守りは角でなく銀でないと端攻めに対応できない。
 
 といって角を動かして▲88銀としようにも、▲77角はその瞬間に△65歩や△85桂が見え見えなので、相当にやりにくいはず。
 
 というのが藤井の読みだったが、ゴチャゴチャと駒の繰り替えをしながら「この一瞬」だけが角と銀を入れ替えられる唯一のタイミングらしく、そこを見逃さなかったのが丸山のすごさだ。
 
 こんなことをされて黙って見ているわけにはイカンと、後手は68分の長考で△65歩と仕掛けるが、そこで▲88銀とハッチを閉めるのがピッタリ間に合う。
 
 
 
 

 藤井がよく言うことに、

 

 

 「▲98香は一円。▲99玉は千円。▲88銀は一万円のそれぞれ価値」

 

 
 勢いは△66歩、▲同銀、△96歩、▲同歩、△97歩、▲同香、△85桂と、振り飛車党なら1億回は決行したおなじみの攻め筋だ。

 


 
 どっこい、それには▲86角と切り返して、△同角、▲同歩、△97桂成、▲同桂、△96香に▲98歩で受けとめられる。
 
 
 
 

 なるほど、これはまさに「一万円」。
 
 これを見れば▲88の駒が角か銀かで守備力に段違いの差が出るのがわかろうというものだ。
 
 「ガジガジ流」の速攻を封じられた藤井は、いったんは辛抱して△41玉と囲う。

 

 


 
 思わぬ相居飛車戦で、これが藤井ともに「振り飛車御三家」と呼ばれた、久保利明九段や鈴木大介九段相手なら、不本意な展開にさせて作戦成功だが、
 
 
 「居飛車もうまい振り飛車党」
 
 
 で鳴らす藤井には、さほどマイナスにはならないのが、またおもしろいところだ。

 

 (続く)

sharon106.hatenablog.com

「藤井システム」第1号局 藤井猛vs井上慶太 1995年 第48期B級2組順位戦

 

 

 



 

 

 前回の続き。

 升田幸三九段がデビューさせ、田中寅彦九段が育成することで棋界を席巻するようになった居飛車穴熊。

 当時はただでさえ森下卓九段、高橋道雄九段、南芳一九段といった腰の重い棋風の棋士による左美濃に押されていたのに、さらに固い穴熊まで出てきて振り飛車党は大苦戦。

 森下など、

 

 「振り飛車には、左美濃と穴熊を交互にやってればいい」

 

 という、ある意味「余裕っち」な発言があったり、タイトル戦などでもほとんど見ない「Bクラス」な戦法に成り下がる危機であったのだ。

 そんな、一時は絶滅寸前まで追いこまれた振り飛車だが、90年代初頭に小林健二九段が「スーパー四間飛車」を引っ提げ大活躍した。

 矢倉党なのに「居飛車穴熊を倒す!」と、あえて不慣れな振り飛車党に転向する侠気を見せたが、その後はすぐ勢いが落ちてしまう。

 だが、90年代半ばに、もう一人の救世主があらわれた。

 そう、それこそが藤井猛九段。

 大山康晴十五世名人から、現代のスーパー四間飛車、また前回紹介した羽生善治の柔軟でオールラウンドな振り飛車など、あらゆるエッセンスを詰めこんで従来の形を「魔改造」していくその手腕が、後に残した影響と功績は計り知れない。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 左美濃と穴熊を徹底的に破壊する新兵器「藤井システム」をひっさげ、ついには竜王のタイトルを取るとところまで昇りつめるのだ。

 記念すべき誕生局は、もうこれまで万回語られ、これからも将棋の定跡・新手・新戦法の解説で地球が滅ぶその日まで語られることになろう。

 

 1995年の第54期B級2組順位戦。

 井上慶太六段と藤井猛六段の一戦。

 藤井はここまで3勝3敗と平凡な成績だが、井上は6連勝で昇級レースのトップを快走していた。

 勝てば相当に手厚い展開となるが、相手も強敵と気合も十分だったろう。

 まさか、この一番が「歴史に残る」将棋になろうとは知らずに。

 戦型は藤井のおなじみ四間飛車に、井上は得意の居飛車穴熊。 

 

 

 

 

 △12香と上がったところで、▲56銀と出るのが、ここまでなら久保利明九段なども似た形を指していた流れ(ちなみに居玉で仕掛けた第一号は久保)。

 △55歩と追って、▲45銀に△84飛と受けるのが、この際の形。

 

 

 銀を攻撃的に繰り出しているが、単騎なのでいきなりどうこうなるわけでもない。

 むしろ、つんのめってるとも取れそうで、下手するとタダ取りされかねない懸念もあるところだ。

 これは井上の駒組が巧みなせいで、銀を△62に置いたままなのが工夫。

 ふつうは手なりで△53銀と上部に備えるところだが、それだと将来▲45桂が当たってくるので先手の待ち受けるところ。 

 それを避けて△44歩と角道を止めないといけないのは、居飛車からすれば不本意で、これまた先手の望む展開になるのだ。

 そこで銀を低く構えて、桂跳ねの速攻を牽制。

 これに先手は足が止まる。

 「藤井システム」を知っている後世の人間からすると、ともかくも▲25桂から▲65歩。

 後手玉のコビンをねらいたくなるところで、実際、これ以前の別の対局では、似た形でそうやって果敢に仕掛けていったそう。

 

1992年の銀河戦。神崎健二五段との将棋。玉の位置が▲39なことや、その2手のため端歩がついてないことなどに、まだプロトタイプなことが表れている。

 

 

 その将棋は勝ったそうだが、後に研究を深めていくと、ここで▲25桂は成立しないとわかった。

 また、先に▲65歩と角を使うのも、△32金、▲64歩、△同歩、▲34銀、△42角、▲55角、△33歩でピッタリ受かる。

 

 

 

 「穴熊が完成する前に速攻をかける」というアイデア自体はすばらしいものだったが、いざそれを成立させるとなると、これがなかなか困難。

 それでも知恵を振り絞り、ひたすらにブラッシュアップを重ねるが、どうしても突破できない壁がこの局面だったそう。

 ここで▲25桂や▲65歩がダメなら、この攻めは成立しない。

 ここまでか。場合によっては「ボツ戦法」にもなりえた瞬間だが、この次の手を藤井が鎌倉を散策中に思いついた瞬間(振り飛車党は「聖地巡礼」しよう)歴史が動いた。

 

 

 

 


 ▲35歩と突き捨てるのが、長く苦しいトンネルを抜け出した瞬間だった。

 この手があって、ようやっと「藤井システム」は成立し、ここに産声を上げることとなったのだ。

 

 

 

 △35同歩に▲25桂と跳ね、この形だと後手はつぶれている。

 単に▲34銀と取る形になると、後手から△33歩と受けられて攻めが頓挫するが、突き捨てを入れておけば、この歩が打てないという仕組みだ。

 それを察知した井上は、△44角と強引に角道を遮断するが、それでも勇躍▲65歩と突きあげる。

 

 

 

 

 角銀桂が後手玉のコビンを狙い撃ちしており、これぞ藤井システム!

 △24歩にかまわず▲64歩。

 △25歩に▲44銀と取って、△同歩にジャーンジャジャーンと▲55角。

 

 

 


 この角のニラミで「穴熊未満」の玉を狙撃するのが、この戦法の骨子。

 △36桂の反撃なども、あらかじめかわして、居玉も最大限に生きている。

 井上は久保相手に類似型をうまく対応して、この形には自信があったろうが、事ここへ来てはもう手遅れである。

 △32桂の受けに▲33歩(!)。

 

 

 


 ここに手裏剣を飛ばせるのも、▲35歩の効果。

 △同玉に▲45角で決まった。

 

 


 

 対戦車バズーカの直撃2発で、後手玉はすでに瀕死。

 △54歩と角取りにしながら▲63歩成を防いでも、▲66角と逃げるのが飛車取りになってピッタリ。

 △22玉、▲84角、△45歩に▲63歩成まで藤井勝ち。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 このとき、振り飛車と言う戦法の根本が変わった。

 藤井を「真の天才」と礼賛する先崎学九段の表現を借りれば、

 


 「数十年の時空を飛び越えることに成功した」

 

sharon106.hatenablog.com


 そう、振り飛車党にとって12月22日という日は、まさにバスティーユ襲撃の「革命記念日」だった。

 居飛車穴熊による「絶対王政」がくずれ、逆に振り飛車過激派による「恐怖政治」がはじまるのだ。


 

 (新人王戦決勝編に続く)

sharon106.hatenablog.com

振り飛車+居飛車の魔改造「藤井システム」への道 羽生善治vs真田圭一 1995年 全日本プロトーナメント

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回の続き。

 小林健二九段が、杉本昌隆八段とともに開発した「スーパー四間飛車」は穴熊相手に正面から押しつぶしていく破壊力を擁していた。

 

sharon106.hatenablog.com



 これは単にコバケンがA級に復帰できたということだけでなく、歴史的に見れば、振り飛車に大革命を起こした「あのシステム」まで、あと一歩のところまで来ていたということでもあった。

 ただ、これだけではまだ、新時代への扉は開いていない。

 実際、一世を風靡した「スーパー四間飛車」ではあるが、その後は研究されたか、なかなかスッキリ勝てなくなってくる。

 居飛車が急戦を交えて、変化をつけてきたことなどへの対応に苦しみ、勝率も5割を切るようになってしまうのだ。

 やはり、この「タテの攻め」は奇襲に過ぎないのかと思われたが、数年後に思わぬ将棋が「触媒」として歴史をつなぐことになった。

 

 1995年の全日本プロトーナメント(今の朝日杯)。

 羽生善治六冠(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将)と、真田圭一五段の一戦。

 羽生の四間飛車に、真田は一目散に穴熊へと潜る。

 

 

 ここで△82玉とでもすれば、まだ駒組が続くわけだが、羽生はいきなり仕掛けていった。

 

 

 

 

 △65歩、▲同歩、△77角成、▲同桂、△95歩。

 シンプルに角を交換しての端攻め。

 きびしそうではあるが、先手も自陣に金銀が多く、後手の持ち駒も少ないので攻めが通るのかどうかは、よくわからない。

 

 

 

 ▲95同歩、△46歩、▲同歩、△75歩。

 歩をポンポン突き捨て、軽く攻める。

 なんというか、これで勝てれば穴熊なんか怖くないが、羽生は気にせずガンガン行く。

 ▲同歩は△95香と捨てて、▲同香に△76歩で攻めがつながるから▲67金と受ける。

 そこで、やはりシンプルに△39角と打つ。

 ▲58飛に△57角成、▲同金、△76歩。

 

 

 

 これといった、すごい手が飛んできたわけではないが、ここまでくると後手の攻めもなかなかのようにも見える。

 受け切るのは大変と見た真田は▲74歩と攻めあうが、△77歩成と取って、▲55角の攻防手に△62金と受ける。

 

 

 

 これが冷静な手で、後手の刃の方が敵陣に食いこんでいる。

 以下、真田の猛攻をかいくぐって、羽生が勝利。

 

 



 この将棋を見ていたのが、「あの男」だった。

 穴熊攻略に命をかけ、大山康晴をはじめ今回のスーパー四間飛車など先人の遺産を調べつくしていたが、まだ「システム」は完成に至っていなかった。

 長年の研究の末にパズルのピース自体は、あと残り数個と言うところまでこぎつけていたが、それがまだ埋まっていない。

 それを解くきっかけのひとつが、この羽生-真田戦。

 大きなヒントが隠されていており、これは藤井がアベマだったかニコ動だったかで、全然別の将棋を解説していたとき、わざわざその盤面をくずして、この羽生の攻めの手順を並べてくれたほどだ。

 つかんだのは、まず「タテの攻め」はやはり有効であること。

 「居飛車感覚の振り飛車」と評される彼にとって、これは心強い情報だった。

 もうひとつは、玉の位置。

 この将棋をはじめ、羽生は飛車を振って穴熊に玉頭から襲いかかる際は、当たりを避けて△82ではなく△71に置いて戦うことがあった。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 この竜王戦で見せた将棋もそうだが、もうひと工夫あるかもしれない、ということだ。

 

 より戦場から遠ければもっと楽に、そして手数も省略してスピーディーに戦えるのではないかということ。

 「あの男」は後のインタビューでも、

 

 「羽生将棋を見ているとインスピレーションやアイデアがわいてきます」

 

 と語っており、ついにひらめくのだ。

 そう、後にシステムの代名詞になった「あの位置」に玉を置いてはどうか。

 

 そして、その「前代未聞」の「むちゃくちゃな改造」が、この一週間後ついに……。

 

 (続く)

sharon106.hatenablog.com

 

 

「スーパー四間飛車」のタテの攻めと「藤井システム」 小林健二vs有吉道夫 1991年 A級順位戦 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 前回の続き。

 1980年代後半、居飛車穴熊の猛威により「振り飛車冬の時代」をむかえる中、逆にあえて振り飛車党に転向した棋士がいた。

 それが小林健二八段で、「板谷門下」の杉本昌隆四段とのタッグで「スーパー四間飛車」を開発。

 その穴熊相手にダメージを通す攻撃力で、A級復帰を決めるなどコバケンは大ブレイクを果たすのだ。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 その勢いはとどまるところを知らず、中田宏樹五段に敗れたものの王位戦の挑戦者決定戦に進出。

 また、A級を舞台にしても、十分に通じることも示した。

 1991年の第50期A級順位戦。

 有吉道夫九段と小林健二八段の一戦。

 小林の四間飛車に有吉が穴熊を目指すと、すかさず△62飛。

 

 

 

 ▲88銀に△33桂。

 

 

 

 ▲67金に△13角。

 着々と銃に弾をこめていく。

 

 

 明らかに攻めてくるぞと言っているわけで、有吉も警戒しながらの駒組。

 先手が▲25歩と突いてないのは、穴熊にしようとした瞬間に△22飛、△32金、△24歩の急戦向かい飛車で逆襲されるのを警戒してるため。

 

 

sharon106.hatenablog.com

 

 

 後手の△13角は、それの裏を取った作戦なのだ。

 

 ▲68銀と引いて、▲58飛とそなえるが、それでもかまわず△65歩とつっかけ、▲同歩に△同銀、▲66歩。

 

 

 


 後手は飛角銀桂を穴熊に直射させて入るが、とりあえずはこれで受かっているようである。

 以下、△54銀か、△74銀か。そこでうまく△45の桂馬をタダでとれる手順ないかな……。

 なんてのんきなことを言っている場合ではなかった。

 この局面、小林はねらっていたのだ。

 

 

 


 △76銀と捨ててくるのが、まさかの突撃。

 ▲同金で一見タダだが、空いたスペースに△67歩と打つ筋があった。

 

 

 ▲同銀は△57桂成で崩壊だから▲59銀の辛抱だが、△57角成と強引に飛びこんで勝負と。

 

 

 駒損なので後手がやや無理している感もあるが、自玉は固く、飛車が取れそうなうえに△67の拠点も残って、現実的にはなかなか受けきるのも大変そうである。

 そのまま押し切って小林が勝利。

 リーグも5勝4敗と勝ち越し、堂々の残留を決めるのだった。

 このように、小林と杉本の「振り飛車師弟コンビ」は穴熊相手に「タテの攻め」で攻略することを突き詰めていった。

 穴熊を牽制して、早めに▲15歩と突きこす形は杉本が昔から指していた形。

 左美濃に▲39玉型から▲17桂と「トマホーク」のように使うのは小林のアイデア(ただし研究ではなく、とっさの思いつきだそうな)である。

 

 

 というと、もうピンとくる人もおられようが、これは「あのシステム」の香りがただよってこないだろうか。

 そう、みんな大好き、左辺のさばきでなく、まるで居飛車の将棋のように、敵の玉頭から強襲をかけるアレの足音が……。

 

 (続く)

sharon106.hatenablog.com

 

「スーパー四間飛車」見参! 小林健二vs福崎文吾 1990年 B級1組順位戦

 前回の続き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り飛車党にとって居飛車穴熊は天敵である。

 そのインパクトは絶大で、80年代から90年代はじめころに振り飛車を指していた棋士が、次々と居飛車党へ転向。
 
 NHK杯など見ていても振り飛車が出てくることはほとんどなく、冗談抜きで大山康晴十五世名人と森安秀光九段をのぞけば、年に1回出るか出ないかくらいだった。
 
 げにおそるべきは居飛車穴熊であり、ポグロムか赤狩りかという「大虐殺」であった。
 
 そんな振り飛車冬の時代、思わぬところから救世主が現れることとなった。
 
 それが「コバケン」こと小林健二九段。
 
 
 小林は若手時代、生粋の居飛車党で矢倉を得意としてたが、90年代初頭に突然、振り飛車党へと転向する。
 
 きっかけはファンの方から、
 
 
 「プロの将棋は相矢倉ばかりでおもしろくない」
 
 
 と言われたことで、それならアマチュアにファンの多い振り飛車をやってみようと。
 
 また、自身も「居飛車穴熊の将棋は見ていておもしろくない」との敵愾心を持っており、いっちょこれをつぶしてやるかと画策。
 
 タイミングのいいことに、「板谷門下」に四間飛車のスペシャリストである杉本昌隆三段がいた(小林は板谷四郎九段、杉本は四郎の息子である板谷進九段のそれぞれ弟子)。
 
 この村山聖九段も「本物」と認める若手有望株が「名参謀」となって、小林は、いや杉本もまた、それぞれの振り飛車に磨きをかけていったのだ。
 
 その後輩への「弟子入り」の成果が、「スーパー四間飛車」。
 
 その鮮烈な棋譜として有名なのが、1990年のB級1組順位戦。
 
 小林健二八段と、福崎文吾七段の一戦。
 
 

 
 
 先手の福崎が穴熊に組もうとしたところで、△62飛と6筋をロックオンするのがプロローグ。
 
 ▲88銀、△52金左、▲58金右に、△65歩とつっかける。
 
 
 

 

 この振り飛車の右四間飛車という、言葉遊びみたいな戦法が斬新な発想であった。

 

 この仕掛け自体は、居飛車穴熊初登場の将棋で大山康晴十五世名人が指してはいる。

 

 

 

sharon106.hatenablog.com

 

 小林はそこに、さらなる火力を乗せようというねらいがあった。

 

 ▲67金と上部に足して、これでなんということもないように見えるが、そこで△24角と逆モーションにのぞくのが新工夫だ。

 

 

 
 
 先手が穴熊の完成を優先し、また急戦向かい飛車を警戒して▲25歩を保留しているのをついているわけだ。
 
 たとえば、こういう形。
 
 

 急戦向かい飛車の速攻を見せられ、先手が左美濃で妥協した将棋。

 こうなると▲98香が悪い形になっており、居飛車おもしろくない。

 

sharon106.hatenablog.com

 
 
 
 △24角から、次に△57角成、▲同金、△66歩などされると受けにくい。
 
 そこで▲68角と引くが、△33桂とさらに戦力を足す。
 
 

 
 
 
 次に△45桂の「天使の跳躍」があるから、▲65歩と取って銀の退路を作る。
 
 それでも、かまわず桂を跳ねる。
 
 

 
 
 なにかこの時点で、「全軍躍動」という感じだが、見たこともない攻め筋でもある。
 
 果たして攻め切れるのか。
 
 ▲66銀とかわし、△68角成、▲同飛に△65銀と出て、▲同銀、△同飛で後手の攻め駒がさばけている。
 
 

 
 
 穴熊相手に主導権を握れているのは大きく、▲46銀に△38角と打って後手優勢。
 
 

 
 
 以下、▲66歩に△47角成と取って、▲65歩、△46馬、▲55角、△同馬、▲同歩、△66歩、▲同金、△57桂成。
 
 
 

 
 ここまでくれば、後手が喰いつけているのがハッキリとわかる。
 
 ▲28飛と逃げても△68歩からの追撃があって、まるで先手と後手の陣形が逆のような、見事な「固い、攻めてる、切れない」。
 
 このまま押し切って「福崎の穴熊」に圧勝。
 
 こうして爆誕した新兵器を駆使し、小林はリーグで連戦連勝を重ねる。
 
 なんと、10勝1敗のぶっちぎりで、A級への復帰を決めたのだから、その威力は本物なのであった。
 
 そしてこの「スーパー四間飛車」は、単に小林をトップ棋士に押し上げただけでなく、その後の振り飛車の歴史を大きく変える、ひとつのきっかけになるのだった。
 
 (続く)

 

 

「四段でタイトル戦の挑戦者」なるか 小林健二vs米長邦雄 1977年 第18期王位戦 挑戦者決定戦

 (オープニング 第一場)

 前回の依田-大島戦を並べながら、棋士たちが検討をしている。

 

sharon106.hatenablog.com

 

 中堅棋士「ガイシャは身元不明で、年齢は30歳くらいの振り飛車党の男性。すでに死んでます」

 ベテラン棋士 
「これがホトケさんか。ひでえな、こりゃ」

 中堅棋士 
「ヒドイなんてもんじゃないですよ。△35歩、▲同歩、△53角なんて……」

 ベテラン棋士
「ああ、犯人はまともなヤツじゃねえ」

 中堅棋士
「狂ってますよ。△45銀上から△44銀なんて……まるで異常者だ」

 ベテラン棋士
「言えるのは、これはバケモノか、あるいは殺しを楽しんでる野郎の仕業ってことだな」

 新人棋士
「(口を押さえて)す……すいません……」

 中堅棋士
「おいおい、吐くなら、むこうでやってくれよ。現場を汚されたら困るぜ」

 ベテラン棋士
「(嘔吐する新人棋士を見て)ま、若いのが、一度は通る道だな」

 中堅棋士
「死体の原形もとどめない惨殺ですからね、無理もありませんが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1997年、第18期王位戦挑戦者決定戦。

 米長邦雄八段と小林健二四段の一戦。

 この期の王位戦の話題は、なんといっても小林の躍進だった。

 王位戦はリーグ入りの予選があり、それを勝ち抜いた棋士たちが紅白のリーグに分かれた戦い、それぞれの1位通過同士がプレーオフに進出。

 紅組はタイトル経験もあるA級棋士の米長が順当に勝ち上がったが、白組ではなんとデビューして1年半ほどの新人である小林(当時20歳)が勝ち上がってきたのだ。

 リーグでは有吉道夫八段、森雞二八段というA級棋士を倒してのものだから、これは決してフロックではない。

 ここで小林が勝てば史上初の「四段でタイトル戦」という大記録。

 米長に言わせれば、そんなことになったら


 「上位陣の面目は丸つぶれ」


 新人というのは勢いがあるうえに、情報が少なく上位者にはやりにくいものだが、「負けては正直言って恥だ」と米長も気合十分でぶつかっていく。

 将棋は米長先手で相矢倉。

 

 

 昭和らしいがっぷり四つの形で、ここから米長が激しく仕掛ける。

 

 

 ▲85銀、△同歩、▲33歩成。

 飛んできた桂を食いちぎって攻め駒を補充するのは、この形で頻出する筋。

 すかさず急所の歩成を利かして、さてこれにどう応じるか。

 取る駒は5個あるが、次の手が米長の意表を突いた。

 

 

 

 

 △33同金寄が、米長も「軽視していた」と認める好判断。

 

 ここを金でなく△33同桂だと、▲34歩と打たれて、△同金、▲13桂成、△同香、▲35歩、△45金、▲34桂で先手優勢。

 

 

 また△33同銀と取るのも、▲35桂で攻めがつながる。

 


 本譜は△33同金寄、▲同桂成、△同銀と形よく取って、後手の味がいい。

 

 

 

 △24に銀がいると、先手から▲25歩や▲35銀で目標にされるが、それをあらかじめ、かわしている感じだ。


 相居飛車の攻め合いで、足が止まったらおしまい。

 なので先手は▲25桂から攻撃を続行するが、単騎の桂は迫力がイマイチで、△66桂の反撃の方が痛い。

 

 

 そこからも小林は、米長が「サッパリだ」とシャッポを脱ぐ会心の指しまわしで勝利へと近づいていく。

 

 

 図は米長が▲25桂と打ったところ。

 攻めとしてはきびしいが、先手からすれば「最後のお願い」に近い手である。

 ここでは小林がハッキリと勝ちになっているが、最後の最期で着地点を誤った。

 △51角と引いたが、これが疑問。

 以下、▲33歩に△53銀と飛車の横利きを通せば、受け切れるとの読みだったが、これが筋におぼれたようだ。

 

 

 ▲32歩成と取って、△同玉に▲63金と、こっちからひっついてく筋が、意外なほど受けにくかった。

 

 

 3筋の攻めに気を取られ、小林はこの遠巻きの攻めを軽視したか。

 △62金の受けはやむを得ないが、そこで▲22桂成と捨てて、△同玉に▲38飛が手のしなる活用。

 

 

 ここではすでに逆転模様。

 後手は△34歩、▲同飛、△33歩と必死の防戦だが、▲62金と取ってから▲33桂成、▲31銀で決まった。 

 

 

 

 △51角では△24銀とシンプルに受けるのが正解。

 

 

 ▲33桂成は△同銀で手厚いし、他の手なら、めんどうを見ながら、どこかで△67歩成、▲同金、△69角の筋を発動させれば攻め合い勝ちだった。

 こうして、「四段でタイトル戦登場」という大記録は成らなかった。

 小林の師匠である板谷進八段は、戦前小林に、


 「勝ったら挑戦者だが、負けたら七番勝負の記録係をやれ」


 と言い渡していたそう。

 あえて自分が「立つはずだった舞台」で裏方を務めることで、その悔しさを忘れないようにさせる「親の愛」。

 実際、七番勝負の第3局で小林は記録係を務めるが、勝つと負けるで天地の差という、この世界の真理を学んだという。

 

 ……というと、オイオイちょっと待て、なんで急に矢倉戦の話をしてるんだ。

 今は振り飛車と居飛車穴熊の歴史の話ではないのかと、ツッコミを入れられる方もおられるかもしれないが、これでいいのである。

 というと、私の同年代くらいのファンや、あるいは「藤井システム」の定跡書を読みこんだり、藤井猛九段の解説や雑談を熱心に聞いていた人には、ピンとくるのではないか。

 そう、この今回紹介した「矢倉党」小林健二が、その後の振り飛車の歴史に大きな影響をあたえることになるのだから。

 

 (続く)

sharon106.hatenablog.com