ガンラトャチ棋聖の将棋博物館

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高野山の決戦 升田幸三vs大山康晴 1948年 第2期順位戦 名人挑戦者決定戦 第3局

 「高野山の決戦」といえば、今でも昭和将棋界の語り草である。

 将棋の世界で「決戦」というと、思い浮かぶのは3つ。

 ひとつは「阪田の初手△94歩」で知られる、木村義雄と阪田三吉による「南禅寺の決戦」。

 

 

 

 

 ふたつめは南禅寺とくらべると、やや地味だが、やはり阪田と花田長太郎が激突した「天龍寺の決戦」。

 

 

 そして「高野山の決戦」。

 それぞれにドラマチックな背景があり、まさに「決戦」の二文字がふさわしいが、中でも将棋の充実度と結末に襲ってくる衝撃でいえば、これはもう高野山が圧倒的に抜けているのである。

 


 

 1948年の将棋界で、名人挑戦を決める戦いは混迷を極めていた。

 この年行われた第2期A級順位戦では、升田幸三八段が12勝2敗のぶっちぎりで優勝。

 今なら、これにて文句なしに塚田正夫名人への挑戦権獲得だが、これがすんなりと、そうはならなかった。

 というのも、このころの挑戦権争いのシステムというのが少々変則的で、A級では1位から3位までがプレーオフに進出。

 プロ野球のクライマックスシリーズのようだが、さらに、そこになぜかB級1組の1位になった棋士もふくめて、4者で戦うことになるのだ。

 この期はA級1位が升田幸三、2位が9勝5敗の大野源一八段、3位が同じく9勝5敗ながら順位下位の花田長太郎八段。

 そして、B級1組からは大山康晴七段。

 そもそもが、ちょっと不思議な方式な上に、ここに大山の名前が加わってきたことが、のちの禍根を生むことになる。

 ちなみに、この時代のA級のメンバーというのが、



 木村義雄前名人

 大野源一八段

 萩原淳八段

 土居市太郎八段

 加藤治郎八段

 坂口允彦八段(休場)

 升田幸三八段

 花田長太郎八段

 村上真一八段(坂口の代わりに補欠参加)
 

 

 というのだから、ほとんど「歴史上の人物」。

 へー、木村義雄の名前が順位戦の表にあるってのがめずらしいなあとか、坂口の休場の理由が、

 

 「チェスのために第2期 - 第4期のA級順位戦を3年間休場するという、異色の経歴を持つ。終戦直後、敗戦で自他ともに自信を失った日本人全体に対して、チェスではアメリカ人と対等に戦えるということを示すため、奮起してチェスを独学で学び、チェスのプロに転向」(ウィキペディアより)

 

 とか、ますます歴史の授業である。おもしろいなあ。

 さてプレーオフの方はパラマス方式で、まず花田-大山戦は花田の体調不良による大山の不戦勝。

 続く大野-大山戦は、2勝1敗で大山が勝ち(なんと最終決戦でもないのに3番勝負だったのだ)。

 そして、ついに名人挑戦を決める最後の3番勝負は、高野山の普門院で行われることとなった。

 升田の本やインタビューによると、病体で(升田流は「病気」ではない、「気は病んでない」から)調整のむずかしい状態の自分に、高野山の寒さは不利になるとかなり難色を示し、またB級からの参加者がいる違和感からも、

 


 「大山や、大山びいきのスポンサーの嫌がらせ」


 

 とまで言っていたそう。

 当時の名人戦のスポンサーは毎日新聞で、升田は朝日新聞の嘱託だったから、そういう「派閥争い」的な、しがらみもあったのか。

 今では考えられない変な挑戦システムと言い、なんらかの「大人の事情」があったことは十分に考えられるが、まあ升田の被害妄想かもしれない。

 こうした、ライバルであり兄弟弟子でもあるという因縁に加えて、政治的なドロドロも引きずっての対戦が、またこの時代の味でもある。

 第1局は大山が取り、第2局は升田が快勝。

 最終決戦の第3局は、升田が先手で相掛かりに。

 序盤から、升田がすかさず横歩を取るフットワークを見せると、大山は手得を生かして中央から盛り上がりにかかる。

 

 

 先手の三歩手持ちも大きいが、後手も5筋を制圧し、主張が通っている形で大山もまずまずと考えていたよう。

 ところが、この局面はすでに升田の手の平の上だった。

 次の手がすばらしく、まずは先手がペースを握るのだ。

 

 (続く)

 

 

「神田君、時間だよ!」 木村義雄vs神田辰之助 1942年 第3期名人戦 第1局 その2

 前回の続き。

 1942年の第3期名人戦七番勝負は、木村義雄名人に神田辰之助八段が挑戦。

 

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 この勝負、そもそもが「果たし合い」的な空気でパンパンなのにくわえて、さらにしんどいことに、両者とも体調面で最悪と言う状況だった。
 
 37歳の木村は指し盛りだが、敗血症と歯槽膿漏でフラフラ。
 
 49歳の神田にいたっては肺病になやまされ、75キロから50キロまで激ヤセした姿で対局場にあらわれると、場内に入るのも弟子の肩を借りないといけないという有様だった。
 
 しかもそれが、持ち時間15時間の3日制(!)で戦うというのだから、まあ大変である。
 
 それでも酷い搾取を強いられ、「打倒木村」と関西棋界の期待と怨念を背負って戦う神田は最強の名人相手によく指し、終盤では必勝の局面まで持って行く。
 
 
 
 
 
 両者1分将棋でむかえたこの図は、神田がハッキリ勝ち。
 
 ここからどう寄せるかもいたって簡単で、われわれでも指す▲44銀でよい。
 
 △同金、▲同歩、△同玉に▲45金と押さえ、△53玉、▲54銀、△62玉に▲43竜。


 
 
 
 

 なにも考えず、先手先手でボロボロ駒を取っていけばいい。
 

 初心者向けの本にある寄せのお手本みたいで、それこそアマ3級くらいの棋力があれば、同じように指して後手投了となるところだろう。
 
 先手玉は危なく見えて、△88金か飛車からの王手ラッシュさえ気をつければいいから、条件がシンプルで読みやすい局面ともいえるのだ。
 
 だが、神田はなぜかそうは指さなかった。
 
 銀を持ったはいいが、それは▲44ではなく▲72に置かれたのだ。
 
 左右挟撃の形を作って、これでも良さそうだが疑問手だった。
 
 すかさず木村は△41角とねばる。
 
 
 
  
 
 △63の地点を守りながら竜に当てて、いかにもうまそうな受けだ。
 
 これを見て神田は、さらにグラついた。
 
 「しまった!」という乱れを修正する時間もなく、とりあえず▲22竜と逃げる。
 
 木村はさらに△32銀と受ける。
 
 
 
 
  
 これで受かっているかどうかは微妙だが、手を渡す感じが、なにやらアヤシゲな雰囲気をただよわせている。
 
 この手に、神田のパニックは頂点に達した。
 
 疑問手を指してしまったとはいえ、まだ依然、将棋は神田が勝ちである。
 
 手は色々ありそうで、しかもどれも勝ちそうだが、それゆえに迷いはさらに深くなるのは今の棋士もよくボヤくところだ。
 
 時間はなくなっていくが、神田は指す気配がない。
 
 当時の秒読みは「1、2、3……」ではなく、55秒と読んで、それで指さないときには時間切れあつかい。
 
 実際は記録係が、
 
 
 「55秒……58秒……指してください!」
 
 
 たいていはあせった様子でうながしていたが、神田はそれでも迷う。手が泳ぎ、どうしても指せない。
 
 傍目にも、これは神田の時間が切れていた。その瞬間、木村からするどい声が飛んだ。
 
 
 「神田君! 時間だよ!」
 
 
 対戦相手からのまさかの催促に、神田はふらついた手で▲11竜と取るが、これが敗着になった。
 
 △37馬と桂を取られて、これで完全に逆転。

 


 
 ▲22竜では、▲33竜と寄って後手玉は受けなし。

 


 
 また▲11竜では、▲33銀や▲31竜でくっついておけば先手が勝っていた。

 

 

 つまり先手は▲11竜以外の考えられる手を、なんでも指しておけばよかった。

 それをよりによって、「たったひとつのハズレ」を引いてしまうところに勝負のアヤがある。

 並みいる猛者たちを押しのけ、名人戦の挑戦者まで登りつめた人が、その簡単な手を指せない。

 それが秒読みの終盤戦なのだ。
 
 以下、神田も懸命な抵抗を見せるが、木村は冷静に網を絞り再逆転はゆるさなかった。
 
 これが世に有名な、「神田君、時間だよ」の一局。
 
 一瞬の出来事であるが、完全に自分を見失った神田、それを逃さず「一撃」で足をすくった木村の駆け引き。


 今の感覚だと、対戦相手に声をかけるなど考えられないが、当時は終盤戦で神田が「詰みやないか」とつぶやくと、木村が「詰まないよ」と返すとか、「舌戦」を戦わせながら指していた。
 
 これは余談だが、これも有名なエピソードとして、2人の対局で木村が必勝になるも、大逆転で神田が勝利したことがあった。

 アツくなった木村が、

 

 「好局を失って……」

 

 くやしがっていると、神田はすかさず、
 
 
 「なんで勝っても、勝ちは勝ち」
 
 
 そう言って高笑いしたそうだが、ここではその復讐を受けた形だった。

 また木村といえば、必勝の局面から「思い出王手」のような手に対応を間違えてトン死を喰らったとき、

 

 「(詰まないとわかってたのに)君は僥倖を頼んで指したな!」

 

 一喝(逆ギレ)したという話も有名で、私はこれも神田相手にだと思いこんでいたが、どうやら萩原淳八段のことらしい。

 藤井聡太六冠がデビュー時に「僥倖」という言葉を使って話題になったが、私と同じくこのエピソードを思い出して、ニヤリとした方は多いのではあるまいか。 
 
 この敗戦にショックを受けたのか神田はその後も勝てず、4連敗で憎き木村の軍門に下る。
 
 その翌年にはさらに体調を悪化させ、50歳でこの世を去った。
 
 まさに歴史の教科書でしか聞かない「憤死」というやつであろう。
 
 この名人戦第1局こそが、文字通り「命がけ」の戦い。
 
 また「秒読み」の持つドラマを、これでもかと、わからせてくれる将棋でもあった。

 

 

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「東西格差」の時代 木村義雄vs神田辰之助 1942年 第3期名人戦 第1局

 「時間切れ」というのは、将棋のトラブルの中でも、なかなかにめんどくさい物件である。
 
 日本のプロ棋界では、秒読みの多くを記録係など人力に頼っているため、時間が切れた切れないを誰がどう判断するのか、なにかともめることになる。

 対局時計を使えば解決なんだけど、連盟はやらないから(昔に銀河戦予選でやったらベテラン棋士が使えなくて中止になったとか、トホホ)、たいていは水掛け論になる。

 アマの大会で、よくモメているというが、まれにではあるがプロの、それもA級やタイトルホルダークラスの棋士同士の対局でも、この不毛なやりとりはあるもの。

 しかも形勢不利な方が、相手の反則をアピールすると、

 「そこまでして勝ちたいのか」

 とか言われるリスクもあり、実際、昔に皆から嫌われていたある棋士が、嫌がらせでそういう「冤罪」をかぶせられたこともあったそう。

 そもそも基本的に身内でやってる「ギルド社会」の中では、それこそ後輩が先輩に、「今の反則でしょ」とは言えない。
 
 記録係は見てるけど、圧倒的「弱者」の立場である彼らに、そんな責任を追わせるのはかわいそうということで、発言権はあたえられないから、いよいよ泥沼である。

  
 まあ、こんなことが年中あるわけでもないから、いちいち厳格なルールを作るのも面倒なのだろうが、中には「泣き寝入り」を強いられたり、
  
 「明らかに時間が切れていたけど、言ったほうがいいのか、どうなのか」
  
 という葛藤から、ルールを破ってないほうの指し手が乱れてしまったり、混乱したりとかが最悪の展開。

 かつて、升田幸三八段が木村義雄名人を「指し込んだ」王将戦(いわゆる「陣屋事件」のシリーズ)でも、升田が時間切れを指摘できずモヤモヤした場面があったそう。

 もしそこで「反則だろ」と升田が宣言してたら、木村は「時間切れ負けで指し込まれる」という、とんでもない不名誉をしょいこむところだったのだ。

 前置きが長くなったが、今回はそんなグダグダな終盤戦のおはなし。
 
 
 1942年の第3期名人戦は、木村義雄名人に神田辰之助八段が挑戦した。
 
 この対決は、まさに「因縁の対決」といったドロドロしたものを背負っており、まずこの2人は政治的に深く対立していた。
 
 「常勝将軍」と呼ばれ、将棋界のあらゆる収入や利権を独り占めしていた木村に対して、関西所属の神田は大きな不満を持っていた。
 
 あの関西棋界のカリスマ「阪田三吉」の派閥に属していた神田は、「関西の時期エース」という立場で、その影響力も大きく、発言にも注目が集まり特に木村と対立。
 
 神田が木村に食ってかかったのには、この時代の将棋界を語るにはずせない、 「関東と関西の格差」の存在があった。
 
 「名人」の権力や人脈により、いい思いをしていた関東に比べ、関西は露骨に軽視された。
 
 木村が愛人を囲い、花柳界(遊郭など今でいう高級風俗など夜の世界)で豪遊する裏で、今でいうA級クラスの関西棋士たちは「うどん屋」を副業にして、ギリギリ食べているという有様だったのだ。
 
 具体的には対局料で、5倍近い差があったと言われる。
 
 今で言えば、竜王戦の優勝賞金が「4400万円」。
 
 これを伊藤匠叡王や広瀬章人王座が勝てば、そのままもらえるのに、藤井聡太六冠や豊島将之九段が奪取や防衛をしても、880万円しかもらえなかったということ。
 
 そら怒るやろと言うか、制度作った人たちの頭がおかしすぎるわけで、神田や升田幸三などが、その元凶である木村に対して、
 
 「木村、ぶっ殺す!」
 
 という殺意にも似た闘志を燃やしても、それは決して、ただの粘着と言うわけでもなかったのだ。
 
 さらに対立に火をつけたのが、「神田事件」のゴタゴタ。
 
 これは神田が七段時代に、その好成績から「八段昇段」を望んだところ、規定をクリアした成績を上げたにもかかわらず、日本将棋連盟がその約束を反故にしたことだった。
 
 今でいうなら、服部慎一郎七段や澤田真吾七段が、B級1組順位戦で10勝2敗の好成績をおさめ、ぶっちぎったところに理事会が出てきて、
  
 「1位通過には違いないけど、2敗してるからA級昇級は認められません」
  
 とか言い出したようなもの。
 
 ハッキリ言ってメチャクチャであるが、マジにこんな感じのヤカラを入れてるのだから、どうしようもない連中だ。

 この手の「昇段させるかさせないか」話は、こんなのばっかりで本当にバカバカしい。ええ加減にせえよ。
 
 これには連盟側も、あれこれ自分たちを正当化する理屈をつけたようだが、要は自分たちに歯向かう「格下」(関西所属)の連中に対する嫌がらせ。
 
 こんなことばかりやっているもんだから、良識派の棋士たちから、さすがに「いいかげんにしろ!」との声が上がった。

 激おこの彼らはなんと連盟から離脱し、分裂騒動にまで発展。
 
 その面々と言うのも、花田長太郎、塚田正夫、金子金五郎、加藤治郎という、今見てもすごい大物ばかり。

 これも今で言うなら、度重なる関西への嫌がらせに関東所属の広瀬章人王座、永瀬拓矢九段、佐藤天彦九段、中村太地八段という実績、人気も兼ね備えた棋士たちがボイコットを宣言したようなもので、関係者は解決までに右往左往を強いられる羽目になった。
 
 なんだか、調べているだけでも陰惨な気持ちになる出来事ばかりだが、とにかくそんなバチバチな2人が名人戦で戦うというのだから、そらタダですむはずがないのだ。
 
 だれもが待ち望んだ、血濡れの「東西対決」。
 
 事件はしょっぱなの第1局で起こった。

 

 (続く)

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間違った? 不思議な金の使い方 森安秀光vs谷川浩司 1984年 第42期名人戦 第1局 他

 金を変なところに使う手というのがある。
 
 金というのは守りの駒で、できるだけ王様の近くにある方がいいもの。
 
 また「金はナナメに誘え」という格言もあるように、下段にいる方が働く駒でもある。
 
 なので、金をドンドン繰り出して行くような手は指しにくいものだが、ときにはそれが好手だったりもするわけで、そのギャップにインパクトがあるのだ。
 
 
 1984年の第42期名人戦。
 
 谷川浩司名人と、森安秀光八段の七番勝負第一局。
 
 昨年度、「21歳名人」という偉業を成し遂げた谷川に対し、同じ「神戸組」から森安が挑む。
 
 「ミスター四間飛車」に対して谷川は▲46銀型の急戦で挑んで、むかえたこの局面。

 

 


 
 飛車角交換で、先手は飛車の打ちこみが楽しみだが、後手も△6筋に拠点を作っているのが主張点。
 
 振り飛車側は角筋の威力を駆使して攻めて行くのか、それとも4筋5筋をほぐして、△27角のような手で馬を作ってじっくり指すのか。
 
 どっちにしても▲31飛のような打ちこみが気になるところだが、次の手がちょっと予想のつかないものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 △51金寄が、違和感バリバリの手。
 
 飛車で桂香を拾われると駒損が痛いから、それを牽制しようということだが、それにしても変な手である。 
 
 ▲57銀と上部に備えたところで、△41金(!)
 
 
 
 
 
 
 後手からすればキレイな美濃囲いが健在で、そこが最大の売りのはずなのに、それを自ら壊しにかかるとは……。
 
 こんなの振り飛車党が絶対指さない手に見えるんだけど、それを「ミスター四間飛車」がやるというのだからおどろきだ。
 
 谷川も腰を抜かしただろうが、指し手は冷静で、うすくなった左辺から厚みを築いていくのが好判断。

 

 

 

 低い陣形を維持して攻めに備えていた後手だが、それを無視して端を攻められるともろかった。
 
 シリーズも4勝1敗で谷川が防衛。


 

 もうひとつは2006年の第14期銀河戦決勝。

 羽生善治三冠(王位・王座・王将)と小林裕士六段の一戦。

 羽生が角交換四間飛車から石田流に組むと、小林は棒金で押さえこみを図る。

 中盤で激しい駒交換が行われ、迎えたこの局面。

 

 

 

 後手は△83の地点が開いているのが怖く、下手に駒を渡すといきなり詰まされる筋があり警戒しないといけない。

 寄せに行くのは先手玉も、まだしっかりしているため時期尚早。

 なら一回自陣に手を入れておきたいが、これが意表を突く受けだった。

 

 

 

 

 △62金打が、羽生らしい形にこだわらない好手。

 ここは反射的に△52金打としてしまいそうだが、それには▲41竜と入られて、次の▲83銀がきびしい。

 

 

 そこを△62に金がいれば、▲83銀、△同銀、▲同桂成、△同玉となっても▲61竜と取れない寸法だ。

 この次の小林の手が、▲54銀打と言ういかにも気の利かない攻めしかなかったのだから、△62金打がいかにいい手だったかわかろうというもの。

 

 

 

 

 後手が手を入れ、角の守備力も残った一番固いところからせまるしかないのでは、あまりに率の悪い攻めだ。

 攻めのスピードを大幅ダウンさせた後手は、ここで△48飛と攻め合い。

 

 

 

 飛車を打ちおろしつつ、角とと金に活が入り、先手の竜にもアタックをかける一石二鳥を超えた絶好打。 

 これに▲32竜と逃げざるを得ないのでは、いかにもつらく、もはや勝負はあった。

 △56歩以下、羽生があっという間に先手玉を寄せ切り優勝。

 その重いパンチで、森下卓九段、丸山忠久九段と言う強豪を破って決勝に上がってきた小林だったが、その野望は一路はずした金打によって阻まれてしまったのだった。

 

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クイーンズ・ギャンビット 西山朋佳vs片上大輔 2020年 ヒューリック杯棋聖戦

 西山朋佳女流四冠(白玲・清麗・女流名人・女流王将)が、ついにプロ棋士になることとなった。

 女流タイトル「白玲」を5期獲得。新規定による編入資格でのプロ入りだ。

 後付けっぽい制度の問題などで紆余曲折あったが、西山さんはルールの中でしっかり結果を出しただけなのだから、何を言われる謂れもない。

 

 「もっと強い方と戦いたい、上を目指したい」

 

 という想いを存分にぶつけてもらいたいものだ。

 それにしても、この「フリークラス編入」という中途半端なあつかい、もうやめたらどうだろか。

 

  
 2020年のヒューリック杯棋聖戦。
 
 片上大輔七段と西山朋佳女流三冠の一戦。
 
 奨励会で三段まで行った西山は、女流棋士転向後も女流棋戦のみならず、一般棋戦でも活躍しているのはご存じの通り。
 
 このときも渡辺和史四段と泉正樹八段に勝利し、一次予選の準決勝に進出。
 
 勝てば、女流棋士では初の二次予選に進出の可能性が、グッと上がるという大きな一番だ。

 西山得意の中飛車に、片上は金銀四枚で固めて持久戦模様に。
 
 


 

 先手は金銀をくり出して力強い指しまわしだが、飛車角が自陣に素通し状態で、やや怖くもある。
 
 なにやら、いかにもワザがかかりそうな局面だが、まずは角筋を止めつつ上部に勢力を足して△33桂かな。
 
 くらいが、私でもパッと見で思いつくところだが、片上はするどく踏みこんでいく。

 

 

 
 


 
 △68飛成(!)。
 
 押しの強い西山相手に、負けてなるかということか、角の利いてるところ強引に飛車をねじこんでいく。
 
 ふつうは△68角成だが、▲63歩、▲64歩からの連打を嫌ったか。

 

 

 △同飛に▲65金とぶつけていい勝負だろうが、▲76の金をさばかせるし、この金出がいかにも西山好みの進撃なのが気になるところではある。
 
 それならドーンと飛車から行ってしまえということで、▲同角なら△同角成で、玉頭への角の脅威を消しながら、飛車も取り返せるから充分と。
 
 それはつまらないと、西山は飛車を取らず▲54歩と取りこんで、△同銀左に▲44歩と、こちらから襲いかかる。
 
 △78竜と逃げたところで▲43歩成と成り捨てて▲11角成と突破するも、そこで△48歩が急所の反撃。

 

 

 

 美濃囲いは、とにかくここにタタかれると一気にグラついてしまう。

 ▲39金は△68角成くらいでも崩壊。

 ▲58金は形が乱れるうえに△76竜と取られたとき、また▲56の銀取りになっているのが痛い。

 こうして、うわずった金銀を負担にさせるのが後手のねらい。

 先手苦戦を思わせたが、ここからまたしぶといのが西山将棋である。

 

 

 

 

 この瞬間に▲77金(!)と、きわどく当てる。

 

 △49歩成には▲78金と取って、△59とに▲12飛で詰み。

 

 

 それはまずいと一旦△88竜と逃げるも、▲67金とかわして▲11の馬で竜取りをかけるのが、うまいしのぎ。

 

 



 △33角に▲同馬、△同桂としてから▲58金とかわす。
 

 

 

 

 激しい戦いだが、こののらりくらりとした手順で局面の均衡を保つのが、いかにも振り飛車の腕の見せ所という感じ。

 

 馬は消されたが、金銀が連結できて後手もさほど戦果を挙げていないでしょ、というわけだ。

 少し進んで、この局面。


 
 
  
 先手が▲44香とぶちこんだところに、後手も歩で受けとめる。
 
 先手陣は少しゆがんでいるが、▲68歩の壁と▲59飛の存在が頼もしく、まだ余裕がある形。
 
 なので攻撃を継続したいが、持ち駒が角一枚ではやや戦力が足りない感じ。
 
 ここは細かい攻めで、後手陣をくずしていきたい。
 

 


 
 


 ▲15歩と突くのが、筋の良い感覚。
 
 後手陣は守備駒が左側にいるため、そこから手をつけるのはむずかしい。
 
 そこで逆方向から端歩を突きあげるのが、△42歩と詰まった瞬間なので、いかにも好感触だ。
 

 そこから進んで、この局面。 
 
 
 
 

 一目は▲33とと取りたいが、△38金、▲同玉に△57銀成とされると、後手玉に詰みはないため先手負け。
 
 かといって、飛車を逃げるようでは△59竜と底をさらわれて受けがない。
 
 先手がまいったようだが、ここで西山は起死回生の一手をねらっていた。
 
 
 
 
 
 ▲58飛と引くのが、うまい受け。
 
 一見、△同金で▲同歩には△27香成から攻めこまれるなど手番が回ってこなそうに見えるが、そうではない。

 


 
 ▲58飛、△同金に▲同歩とは取らないのがポイントで、これによって△38金と王手でせまる筋を消している。 
 
 かつ、この瞬間は▲59の歩が残って先手玉にまだ余裕があるため、▲13角から詰めろの連続でせまれば1手勝ちできるということなのだ。

 

 

 一瞬で攻防の速度を入れ替える見事な切れ味で、先手の勝ちが決まった。
 
 後手は△38金とこちらを取って、▲同玉に△35桂とせまるが、今度は▲24ととこっちの香を取れる。
 
 △87竜と追いすがるが、▲14角と王手して、△51玉に取ったばかりの香で▲65香と封鎖するのがピッタリ。
 

 


 
 
 以下、数手で片上が投了。
 
 見事なしのぎで勝利した西山は、1次予選の決勝に進出。
 
 そこでも北島忠雄七段を破って、女流棋士初の2次予選進出を果たすのである。

 

 

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横歩取り「中原流」の名局 中原誠vs羽生善治 1995年 王将リーグ

 今回は「横歩取り」の将棋。

 前回まで、シリーズとして山盛り「振り飛車対居飛車穴熊」の攻防を見ていただいたが、そのねばっこい押したり引いたりの対極にあるのが、この戦法ではないか。

 

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 なんとなくのイメージだが、振り飛車党は矢倉なら指せるし、角換わりもゴリゴリの定跡形でなければ結構いけそう。

 でもこれが横歩取りとなると、指すのに急にハードルが上がる感じ。

 それこそ藤井猛九段など「藤井矢倉」は指しても、横歩取りを指しているのは見たことがない。

 

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 また久保利明九段なんかも振り飛車党が相手のときは、「どっちが振る?」「相振り?」みたいな駆け引きの末に、相居飛車を指すこともあるけど、そこであえて横歩取りは選ばなさそう。


 同じルールで指してるのに、こんなにも感覚が違うのかと指してみるとおどろくわけだが、こういうときはスペシャリストのお手本を参考にするのが良いだろう。


 
 1995年の王将リーグ6回戦。
 
 ここまで全勝の羽生善治六冠と、1敗で追う中原誠永世十段との直接対決。

 羽生は前年度の王将戦七番勝負で

 「あと1勝で七冠王」

 というところまでこぎつけていたが、3勝3敗からの最終局で谷川浩司王将に敗れて大記録は成らなかった。

 

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 日本列島を巻きこんだ異様な熱狂と、その脱力感はなかなかのものだったが、同時に、

 「そら、七冠王とか、ふつうはムリやしな」

 「てか、あと1勝ってところまでいったこと自体が、そもそも偉業すぎる」

 という妙な「だよなあ」という納得感もあったりして、これから将棋界はまた「通常モード」に戻るのかといえば、そうではなかった。

 羽生はこの後、並みいる挑戦者を次々と退け六冠をキープ。

 1年後にはなんと、

 「もう一度王将戦に出て、七番勝負に勝てば七冠王」

 というところまで戻してきたのだ。

 意味のわからない進撃ぶりだが、最後の関門である王将リーグでも羽生は勝ち星を先行させていく。

 となれば、ムード的には「もう一回、羽生が挑戦者で来い!」というのが世論になるわけだが、ここで中原がすばらしい将棋を披露する。


 十八番の横歩取りから、玉を△41に寄り△51金、△62銀とくっつける「中原囲い」に組む。

 

 


 双方、そろそろ理想形が近づいており、仕掛けるか、それとももう少し間合いを図るか考えどころ。
 
 後手としては△62銀と締まりたいが、それには▲82角への対策がないと駒損してしまう。
 
 ここからが、空中戦の達人による腕の見せ所だ。


 
 
 
 
 


 △95歩、▲同歩、△62銀が、ちょっと思いつかない手渡し。
 
 端の突き捨ては、まあ角打ちの後△95香と一歩補充しながら捨ててしまう準備だが、ホントに大丈夫なの?
 
 「ノーガード戦法」で露骨に挑発してくるが、ここまでやられたら行くしかないと、羽生も▲82角と勝負。
 
 このまま、すんなり香を取られてはいけないが、ここからの中原の手作りが芸術的だ。

 

 
 
 


  
 △28歩と飛車の裏から手裏剣を飛ばすのが、達人のワザ。
 
 飛車の横利きは残したいと▲同金とすると、△98歩と今度はこっちに手をつける。

 ▲同香、△89角、▲88金、△98角成と強引に香を奪って△25香で一丁上がり。

 


 
 それはかなわんと羽生は▲同飛と取るが、飛車の横のラインが消えたので、△75歩とそこで桂頭を攻めて好調。

 


 
 先手も▲26飛と受けるも、そこからもまた小技を利かせて、△76歩と桂馬を取れる形になっては後手ペース。

 


 
 横歩取りは棒銀的な攻めがないため、飛角桂歩で軽く手を作っていかないといけないが、その見本のような手順。
 
 以下、▲79香、△77歩成、▲同金、△88角で攻めが刺さっている。

 

 


 
 ここで羽生は▲78金と引くが、これが勢いのない手で、ここは強く▲76金とくり出し、横歩取りの天敵である「押さえこみ」をねらえば、まだまだ戦えた。
 
 とはいえ、ここは羽生がどうより、中原の美技をほめるべきだろう。
 
 


 
 
 
 △85桂と飛んだ形は、全軍躍動でほれぼれするような、さばけ形。
 
 負けられない羽生も懸命にねばり、なんとか竜を作って反撃の糸口をつかむ。

 
 
 
 
 図は中原の激しい空襲を耐え、▲77歩とフタをしたところ。
 
 ここで、ゆるい手を指してくれれば一気に逆転の目もできるが、この日の中原はどこまでも冷静だった。

 
 
 
 
 
 
 △71飛とぶつけるのが決め手となる。
 
 ここで手拍子に△96飛は、その瞬間▲74桂でイヤらしい。

 

 

 よく「美濃囲いは端歩一本でなんとかなる」というが、中原囲いはこうして△62銀と△51金の連結をくずしにかかるのが急所。


 それでも後手が優勢なのだろうが、△22の銀と△32の金が壁になって、かなり気持ち悪い思いをしそうだ。
 
 △71飛には▲同竜、△同銀となり、そこで羽生は▲58玉と執念を見せるも、後手陣にまったく、とっかかりがなくなったのがつらい。

 

 落ち着いて△99飛からせまれば、後手の勝ちは動かない。
 
 この勝利で、羽生と中原は1敗で並ぶことになったが、最終戦で中原が森内に敗れたため羽生が挑戦者に。
 
 そのまま「七冠王」へと突っ走るのであった。

 

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タイトル戦での「藤井矢倉」 藤井猛vs羽生善治 2010年 王座戦 第2局

 前回の続き。
 
 

 2010年、第58期王座戦五番勝負は、羽生善治王座(名人・棋聖)に藤井猛九段が挑戦するシリーズとなった。

 

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 この2人は10年ほど前に王座戦と竜王戦で「頂上決戦」を戦い、そのときは「一歩竜王」と呼ばれた激戦の末、藤井が防衛。

 

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 その原動力はもちろん「藤井システム」で、ここに藤井はひとつ大きな結果を残した。
 
 ところが、その後システムがよってたかって居飛車党から研究され、以前ほど気持ちよく勝てなくなってきたところから、藤井の苦難がはじまる。
 
 また羽生善治といえば、一度は叩いて差をつけても、どこかで一気に巻き返してくる「殺しても死なない」不死の王。
 
 2年後には虎の子の竜王を奪い返され、タイトルと研究のアドバンテージを失い、しばらく雌伏のときを過ごすこととなる。
 
 その藤井猛が復活したのが「藤井矢倉」の威力。
 
 振り飛車ファンダメンタリストが「システム感覚」を武器に居飛車の土俵に参入。
 
 そうしてこの度、見事タイトル戦の挑戦権を久しぶりに獲得したのであった。
 
 もちろん我々が見たいのは「相矢倉」。

 まさか、藤井猛の将棋で「矢倉カモン!」になるとは思わなかったが、第1局は羽生が先手になったため、角交換四間飛車の戦いに。

 結果は羽生が勝ったが、第2局ではいよいよ「アレ」の出番である。
 
 初手▲76歩、△34歩に▲66歩。
 
 



 
 △62銀にこれまでなら、見る聞くなしに▲68飛。
 
 あるいは▲16歩の端歩か、場合によっては△84歩と突いてないのを見越して▲78飛から石田流だが、ここでニュー藤井猛は▲56歩、△54歩に▲48銀と堂々の居飛車宣言。

 

 


 
 そうして組みあがりが、この形。
 
 



 
 
 そのころには、すっかりおなじみになっていた片矢倉プラス脇システムの「藤井矢倉」だ。
 
 当然、羽生も対策に怠りなく、△84銀から主導権を取りに行く。
 
 中央がうすくなったので、すかさず▲64角と交換して▲63角と馬を作りに行く。
 
 



 
 
 ▲41や▲61、▲63に角を打つのは、この戦型で頻出の筋。
 
 前例では△65歩以下、互角の戦いになったが、羽生は△75歩と手を変える。
 
 これを見て藤井は
 
 
 「毎回新しい手が来るからきついね」
 
 
 振り飛車や、特に「藤井システム」もそうだが、得意戦法を持つのはいいことだが、どうしても「狙い撃ち」のリスクも高くなる。
 
 もっとも、藤井も研究では常に相手を苦しめているから、むこうからすれば、「おたがい様だろ」というところであろうが。
 
 いったん▲74角成ともたれて、△76歩、▲同銀に後手も△73銀と馬に当てる。
 
 先手は▲63馬。
 
 

 
 
 
 ここでふつうは△74角が自然だが、それは藤井の予定で▲同馬、△同銀、▲75歩、△63銀に▲35歩。
 
 
 


 
 藤井曰く、
 
 
 「難しいが悪くないと思った」
 
 
 そこで羽生はその思惑をはずして△75歩。
 
 
 

 
 
 藤井はこれを軽視していた。
 
 というのも、△73銀では▲41馬と入る手もあり、攻め合いに出るなら▲35歩とも連動して、こっちの方がきびしい。

 


 
 そこを▲63に置いたのは、後手から△75歩の反撃を警戒してのことだから、それでもあえて打ってくるとは思わなかったのだ。
 
 ▲同銀は△65歩と攻める。

 

 


 
 細い手で羽生も自信はなかったらしいが、やられてみると結構大変なよう。
 
 そこで先手は▲74歩と攻め駒を責める。△同銀、▲同馬、△76歩。

 

 


 
 7筋で銀を取り合って、この局面。

 後手は攻めの銀がさばけ、△76歩の拠点も大きいが、先手は馬で押さえこめれば優位に立てそうでもある。

 ここが本局のポイントとなった。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 ▲24歩と突いたのが疑問手。


 といっても、矢倉戦でこの突き捨ては「筋中の筋」という手だし、△同銀に▲15銀、△同銀、▲同歩となった形は棒銀がさばけて、うまいようにみえる。
 
 
 「2六銀が飾りになっちゃまずい」
 
 
 と藤井がコメントするまでもなく、銀がこの位置に残されたまま局面が進んでいくのは、典型的な棒銀の負けパターン。
 
 なので、それを「さばきたい」というのは気持ち的にもセオリー的にも間違ってないはずなのだが、それが、いつもそうともかぎらないのが実戦のむずかしいところ。
 
 ▲24歩の罪は後手に歩を渡しすぎたことで、△65歩、▲同馬とさせてから、△86歩、▲同歩、△87歩のこれまた手筋の攻めがきびしかった。
 
 
 



 
 
 うすい片矢倉の弱点を突いた形で、△86飛や△88角などされると先手に受けがなくなる。
 
 藤井は▲64馬として、△73角、▲同馬、△同桂、▲64角と攻防に利かす。
 
 


 
 敵陣にプレッシャーをかけて、なんとかもう一勝負というところだが、次の手が決め手になった。

 

 


 
 



 
 
 △39銀と、ここからせまるのが、立ち合いの有吉道夫九段も絶賛した、すばらしい感覚。
 
 飛車がタテに逃げれば、横利きの守備力がなくなり△48銀成の挟撃態勢で寄せられる。

 

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 なので▲38飛とするが、今度はタテの利きが消えては後手玉がまったく憂いのない状態になってしまった。
 
 あとは自玉を見ずに攻めまくればいいだけで、△63歩と催促し、▲73角成に△86飛とリズミカルなさばきを見せる。


 
 



 
 このあたりのスピード感はさすがで、あっという間に先手玉を仕留めてしまった。
 
 期待されていた「藤井矢倉」だったが、ここでは羽生に完全に見切られてしまった。
 
 なんとか1勝して、もう一度矢倉を見せてもらいたかったが、第3局は3手目△33角から中飛車にするも敗れ、王座獲得はならなかったのだった。 

 

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「藤井矢倉」≒「藤井システム」? 藤井猛vs深浦康市 2010年 王座戦 挑戦者決定戦

 前回の続き。

 

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 2008年ごろ、突如として「藤井矢倉」なる、相居飛車の将棋を指しはじめた藤井猛九段。

 久保利明、鈴木大介と並んでA級で活躍し、「振り飛車御三家」と呼ばれた男が、まさかの方向転換。

 


 「損得で振り飛車を選んでいるわけじゃない」

 「矢倉をやれと言われていたら将棋をやめていた」

 


 というほど振り飛車ラブな男だっただけに、これにはファンも、


 「裏切り者には死を! 暗殺やむなし!」


 となったかもしれないが、実は藤井は決して「システム」の魂を捨てたわけではないのだ。

 その証拠がこの将棋。


 
 図は2010年、第58期王座戦の挑戦者決定戦。
 
 藤井猛九段と深浦康市九段の一戦。
 
 初手▲76歩、△34歩に、▲66歩の出だしから、この局面。
  
 


  
 後手が2手目に△84歩と突かず、△34歩で、
 
 
 「矢倉とか角換わりじゃなく、横歩取りとか、どうッスか?」
 
 
 と誘ってるところから、▲66歩と角道を止めて「まあまあ、そういわんと」と矢倉に持ちこむのを「無理矢理矢倉」と呼び、田中寅彦九段などが得意としていた。
 
 角換わりや、横歩取りに苦手意識のある人にはおススメだが、ひとつ問題はそこで△32飛から振り飛車にしてくる人がいること。 
 

 
 そうなると、▲66歩が形を決めすぎて急戦にはできないし、石田流にも組まれてしまう。

 穴熊にするにしても角道を止めてしまっているのは少し損で(田中寅彦はそれを受け入れたうえで、それでも矢倉にしたい)、この歩はできれば保留したいのだ。
 

 矢倉は相手の土俵と見れば、こうして振り飛車にする手も後手としては有力だし、△84歩としてないのも生かせる。

 なので、この3手目▲66歩は場合によって微妙な手になる可能性もあるのだが、これが藤井猛の場合はそうでもない。
 

 矢倉を回避して飛車を振ると、今度はそのタイミングで、

 

 「アイツが振るならオレも振る」

 

 との格言(?)通りに相振り飛車に切り替えられる恐れがあるのだ。

 相手が純正居飛車党なら、不慣れな作戦を強いてそれもいいが、「純正振り飛車党」だったらどうだろう。
 
 藤井は初タイトルを獲得した竜王戦でも、谷川浩司竜王相手に相振り飛車で圧勝している。

 

相振り飛車になった第2局。「攻めは飛角銀桂」の理想形からバリバリ攻めて勝ち。

 

 


 
 こんな「スペシャリスト」相手に、居飛車党が相振り飛車で戦うなど怖すぎるし、そもそも藤井は精神的な師匠である大山康晴十五世名人と同じく、「振り飛車退治」を得意ともしているのだ。

 なので、後手はしぶしぶ△62銀と居飛車にするが、藤井は「でしょうね」と笑いをかみ殺しながら▲26歩と突き上げる。 

 ここから先手は矢倉風ながら、素直には形を決めず駒組みを進める。

 2手目に△34歩と「藤井矢倉」を警戒してきたためか、郷田戦とは違い左美濃のままで囲いを保留。

 そして、ここからの構想が、藤井流相居飛車の深い研究を感じさせる。
 

 

 


 まず、早めに▲37桂と跳ねる。
 
 △53銀と上がっている後手は△44歩と受けるが、これで▲46歩から▲45歩の争点を作って、いつでも行くぞと準備しておく。

 
 ならばと、後手も△85歩と突いて、▲77銀と角道を止めさせようとするが、そっちは無視してここでは矢倉でなく高美濃のままかまえておく。
 
 そうして、▲45歩から▲65歩と仕掛けた、この図を見てほしい。
 


 



 
 
 右の桂馬と角のラインで敵陣を直射する。なにかを思い出しませんか?
 
 そう、これぞまさに「藤井システム」の戦い方ではないですか!

 

 


 
 藤井猛と言えば、もともとが「タテの突破力」を売りにしており、
 
 
 「居飛車感覚の振り飛車党」
 
 
 と呼ばれていたものだった。
 
 なら「居飛車版・藤井システム」があってもおかしくないわけで、まさにドンピシャ決まった感じだ。
 
 振り飛車を見限ったと見せかけて、実はそこにこういう演出。

 うーむ、やはりこの人は千両役者ではないか。

 ここから「ガジガジ流」で攻め立てる先手は、一度も受けの手を指すことなく猛進。
 

 

 

 この▲25桂と跳ねた図など、ただの藤井システム。

 しかも、この形は▲28の飛車も▲68にいるより、さらに働いている感じだ。玉も固い。

 相居飛車でも、その破壊力はブルドーザーのごとしで、ねばり強さが売りの深浦がサンドバッグ状態。
 
 そうしてむかえた最終盤。
 
 



 自陣は手つかずで、攻め駒は豊富。

 

 飛車角の両取りだが、一手で両方は取れないためまだ余裕がある。

 
 すでに先手勝勢だが、藤井はきれいに決めた。

 

 

 
 


 
 
 ▲52と、△同玉、▲71銀で先手勝ち。
 
 軽くと金を捨てるのがスピードアップの好手で、△同玉に▲71銀の挟撃があっては受けがない。
 
 △83飛に一回▲46飛と歩を補充して、△45歩に▲82金から飛車を取って試合終了。
 
 深浦からすれば相手のゾーンで一方的になぐられただけで、おもしろくもなんともない将棋だったろう。
 
 これで藤井は2001年の竜王戦で失冠して以来のタイトル戦登場。
 
 相手はこの時代の王座戦と言えば、この人という羽生善治王座(名人・棋聖)。
 
 勝負の行方もさることながら、「藤井矢倉」に王者がどんな対策を用意するのかにも、俄然注目が集まった。
 
 (続く)

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「▲25歩」「片矢倉」「天野矢倉」 藤井猛vs郷田真隆 2009年 王座戦 その2

 前回の続き。

 

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 振り飛車界のスーパーレジェンド藤井猛九段が「藤井矢倉」なる居飛車の戦法で、再ブレイクしたことがあった。
 
 今となっては「ホラ吹き」あつかいされそうな話だが、本当にそういう時期があったのだから歴史というのは奥が深い。
 
 局面はたとえば、こんな感じ。
 
 
 
 


 
 
 脇謙二八段が得意とした「脇システム」の形だが、先手の囲いが、やや特殊。
 
 「片矢倉」とか、江戸時代の「棋聖」天野宗歩が愛用していたことから「天野矢倉」とも呼ばれる形だ。
 
 素人ながら「ここが新しいかも」というのは、まず片矢倉は▲88玉型よりも1手早く囲えること。
 
 その省略したところを攻めで使えるわけで、このあたりは「藤井システム」にもつながる思想。
 
 また脇システムは角交換になりやすく、そこで△69角のような手を消しているのもポイント。
 
 当時の解説を見るとこの形は、早めに▲25歩と突くところが大事だと。
 
 この手自体は飛車を使う普通の手だが、早めに決めてしまうと、いろいろとデメリットもある。

 「飛車先不突矢倉」や▲25桂の跳ね出しを消しているし、そもそもこうして早々に形を決めてしまうのをプロ棋士は、本能的に嫌がるのだ。

 人間同士の戦いでは、

 「できるだけ選択肢を多く残して、相手にこちらのねらいをしぼらせない」

 というのが大事。

 勝又清和七段が言うに将棋の戦型は、矢倉や角換わりの飛車先保留や藤井システムの囲いの放棄など、

 

 「後まわしにできることは、後まわしにする」

 

 というところから発展するそうで、そうしてリリースポイントを遅らせることで「速球か変化球か」をチラつかせながら、優位に駒組みを進める。

 また、そうして手を保留することで戦型を迷わせたり、時間をけずらせたりすることで、実戦的なメリットもあるという高等戦術なのだ。
 
 そこをさっさと▲25歩は違和感があるわけで、そもそも「藤井システム」が玉の囲いを「早く決めない」ことで発展していったのだから、なおさら違和感があるではないか。

 では、そこをわかっていながら、なぜ▲25歩なのか。

 これによって後手は、△33銀と受けないといけないわけだが、これがポイントなのである。
 
 先手が飛車先を保留すると、後手は△33銀を省略でき、角道を開けた駒組が可能だった。
 
 また、先手が飛車を攻めに使いにくいため後手から「急戦矢倉」など、積極的に主導権を取りに行く選択肢も生まれてしまい、これではせっかくの研究が生かせなくなる。

 

 

 

 

 そこで藤井は「飛車先不突」「▲25桂」を放棄する代償として後手の速攻を封じることを選ぶ。
 
 同時に早めに▲37銀と上がって、▲35歩、△同歩、▲同角から▲36銀という攻めの理想形を目指す。
 
 後手がそれを阻止するには△64角とするしかないが、そこで▲46角とぶつける「脇システム」に誘導できる。
 
 「脇システム」自体が優秀なのもさることながら、藤井からすれば相手を自分の土俵に誘いこむというか、
 
 
 「自分の研究範囲の局面を強制させる」
 
 
 というねらいがあるわけなのだ。
 
 つまり、藤井は様々な策を弄することによって、
 
 
 「かならずホームで戦える」
 
 
 というアドバンテージを得られるわけで、先手番の振り飛車をあえてサブの位置に置いたのは、この構想を思いついたからであろう。

 図から△73銀に1回▲96の端歩を入れ、△84銀と出て仕掛けをねらうタイミングで▲64角、△同歩に▲41角と打ちこむ。

 

 

 


 「脇システム」ではおなじみの筋で、▲74角成を見せつつ2筋の攻めへの強化や、場合によっては▲32角成と切る手もねらいだ。

 郷田は△73銀と引き、▲35歩に△42金寄と角を取りに行く。

 ▲63角成に△53金寄で、馬は捕まってしまった。

 

 

 もちろん、これはこの形の常で、恐れてはいけない。

 ▲同馬と切ってしまい、△同金に▲34歩と取りこんで、△同銀、▲35歩、△43銀に▲15銀。

 

 

 

 

 「ガジガジ流」の攻めプラス片矢倉の安定感で、後手玉もうすく、攻め好きの人なら先手を持って指したいだろう。

 

 

 

 図は終盤戦。

 ねじり合いが続いていたが、後手は角2枚をうまく使えず、攻めあぐんでいる印象。

 ここから藤井が仕上げに入る。

 

 

 

 ▲37金と馬を取りに行く。

 ふつうの矢倉なら、ここで△69馬と逃げられるのだが、片矢倉、いや「藤井矢倉」ではそうはいかない。

 ▲同馬に△同桂と幸便に活用して、先手の攻めはもう切れない。

 なんとか先手玉をくずして、攻め合いに持ちこみたい後手は△76歩と取りこんで、▲同銀、△66歩、▲同金に△86飛。

 

 

 


 これで△88歩成や△76角成(△76飛)がまわれば勝ちだが、次の手が決め手となった。

 

 


 ▲77玉で受け切り。

 飛車取りの先手で▲76の地点に勢力を足しながら、△88歩成も緩和している。
 
 △75歩に▲86玉と取って、△76歩に▲24歩が急所の一撃で先手勝ち。

 

 

 まさにタテの突破力に定評のある「ハンマー猛」の持ち味と、藤井矢倉の威力をまざまざと見せつける戦いぶりだった。
 
 とここで、
 
 
 「でも、いくら優秀だからと言って、藤井九段が振り飛車を捨てたのはショック」
 
 「勝つために《好きで選んだ》振り飛車から寝返るなど、勝利至上主義が幅を利かしているだけでは」


 
 などと「振り飛車ファンダメンタリスト」の嘆きと怒りがとどろきそうだが、ここでテロを起こすのは一回待ってほしい。
 
 藤井猛は決して「システム」を忘れているわけではないのだから。

 

 (続く) 

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「藤井システム」から「藤井矢倉」へ 藤井猛vs郷田真隆 2009年 王座戦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 「藤井猛九段は矢倉を武器にタイトル戦に出たことがある」
 
 
 なんだか往年の人気番組『トリビアの泉』風なはじまりかただが、そういう時代があったのである。
 
 と言うと、アマチュアには振り飛車党も藤井ファンも多く、特に若い人などから、
 
 
 「藤井先生は振り飛車を愛しているから、相居飛車など指すわけがない。恐るべき歴史修正主義」
 
 「実際、あるインタビューでも《損得で戦法を選んでいるわけではない。相矢倉をやれと言われていたら将棋をやめていた》と話している」
 
 「てか、釣りサムネなら、もっとおもしろいアイデアを見せろ。ありえなさすぎて、全然読む気にならないぞ」
 
 
 などという声が飛んできそうだが、これがウソのような本当の話。
 
 「藤井システム」で棋界に革命を起こし、久保利明九段、鈴木大介九段と並んで「振り飛車御三家」と呼ばれた男。

 一般のファンのみならず振り飛車党のプロからも、神のごときあつかいを受けるカリスマ。

 

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 その英雄が、転びバテレンのごとく矢倉を指すだけでなく、しかもそれでタイトル戦に出たという時代が、たしかにあったのだ。
 
 時は2008年ごろのことで、藤井猛が突然に「▲26歩」と言う手を指しはじめた。

 高美濃から銀冠に組み替えるためではない。矢倉にするためだ。

 
 あの「振り飛車命」の男が、まさかの居飛車党に転向。
 
 棋界は騒然となり、藤井ファンの中にはショックを受けた人も多いだろうが、同時にこんなことも思った方も多いのではあるまいか。
 
 
 「あの藤井が矢倉? それ、メッチャ見たいんスけど!」
 
 
 その通り、藤井猛の相矢倉は一味違った。
 
 矢倉というのは昭和将棋界の王道であって、その変遷も様々であり、とても一言では語れない。
 
 「スズメ刺し」もあれば、加藤一二三九段の得意とする「▲37銀型」とか。
 
 「24手組」とか、飛車先不突矢倉に「森下システム」。
 
 ▲37桂、▲46銀型とか、「脇システム」とか「91手定跡」とか、「なつかしい」と感じたワードで、その人の将棋歴が測れるほどだ。
 
 その対策も菊水矢倉に急戦矢倉など、その歴史をながめるだけでも『百科全書』クラスの巻数が必要となるだろう。
 
 そんな百花繚乱の中「藤井矢倉」はまた新しいアイデアに満ちていた。
 
 具体的な形を見ていただくとこれ。
 
 2009年の王座戦。

 藤井猛九段と郷田真隆九段の一戦。

 先手の藤井が▲76歩と角道を開けると、居飛車本格派の郷田は当然のごとく△84歩。

 そこで▲68銀。

 

 

 いつもなら、すぐに▲68飛と四間飛車にするか、あるいは▲16歩と端歩を突くのが「藤井流」。

 そこを▲68銀は結構めずらしいのではないか。△34歩には▲66歩と止める。

 まあ、ここから▲57銀とか▲67銀とかあがって、三間飛車や四間飛車、あるいは中飛車にする手はある。

 その通り、△62銀には▲56歩。

 

 

 中飛車かなあ。そういえば、アマチュアや奨励会時代の藤井はツノ銀中飛車とか、中飛車穴熊を得意にしてたんだよなー。

 とか思いながら、先を進めてビックリ。

 △54歩に、▲48銀(!)。

 

 
 振り飛車党で、この形から▲48に銀を上がる人はいない。

 美濃囲いも穴熊も放棄する形で、なにより飛車を振るのに邪魔ではないか。こら、どきなさい!

 そんなこっちの困惑もかまわず、△42銀に▲58金右、△32金、▲67金、△41玉に▲26歩(!)

 

 

 なんと、平成振り飛車界のゴッドファーザーとも言える藤井猛九段が、相居飛車を明示したではないか。

 

 

 
 
 そこから組みあがって、この形に。

 この形にするだけなら、素人の私も見様見真似でできるが、もちろんのこと藤井には遠大な構想があった。 
 

 通常の相矢倉と、この形がどう違うのか。

 次回から、そのあたりをじっくりと見てみたい。

 

 (続く)

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