ガンラトャチ棋聖の将棋博物館

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「天才少年」の頭ハネ 羽生善治vs前田祐司 1990年 B級2組順位戦 その2

 前回の続き。

 

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 1990年の第49期B級2組順位戦、その開幕局。

 羽生善治竜王前田祐司七段の一戦は横歩取り「△23歩」型に。

 

 

 そこから、見たこともない力将棋となったが、やや先手の羽生指せるのではとの評判。

 しばらく進んで、この局面。

  

 


 図は前田が8筋を継ぎ歩でこじ開け、△94銀と打ったところ。

 陣形と厚みに差があり、押さえ込まれないよう後手も必死だが、この一見筋悪の手に対処を誤ってしまう。

 ここでは金銀のスクラムをキープすべく、▲65歩と打てば良かった。

 

 

 △85銀には▲86歩△同銀▲87歩と強く呼びこんで戦えば、金銀の枚数が多い先手のリードはキープできたのだ。

 

 

 そこを▲76金上と素直に応じたものだから、△85銀と形の悪かった銀をさばかせてしまった。

 ▲同金△同飛▲87歩△82飛▲76銀

 

 

 こうして局面をサッパリさせた後、▲76銀と厚みを再構築して問題なさそうだが、次の手が思いのほか厳しかった。

 

 

 

 

 △65歩で今度は後手に形勢が傾いた。

 金銀どちらでも取れるが、どちらで取っても、まずい形に。

 ▲同銀△86歩から十字飛車をねらわれる。

 

 

 かといって▲65同金も、△94角と味良く飛び出して、▲77金くらいしかないが、△73桂から駒をバリバリ活用されて押し戻される。

 

 

 これは2枚急所に利いてきて、先手が受け切るのは困難だ。

 やむを得ず△65歩に▲67金と辛抱するが、これでは売りだった金銀の防衛戦が威力半減。

 △94角▲77金上△66金で喰いつかれている。

 


 今度は一転、攻めが続きそうで有利なった感のある後手だが、もちろんここで気などゆるめられない。

 なんといっても、相手は「天才羽生善治

 この男はこういう局面から、根性と曲線的なねばりで、華麗な逆転術を見せるのを得意中の得意としてるのだ。


 



 まだまだ油断はできないぞという、この局面がポイントとなった。

 形勢は後手がやや押しているが、先手陣は5枚金銀までいて、まだ一撃ではくずれない。

 ここで予想されていたのが、▲96歩とジッと端歩を突く手。

 

 

 このいそがしそうな局面で、まるで1手パスのような優雅な手だが、こうやって


 「やってこい」


 とやられると、意外と後手もあせらされるところ。もちろん、フトコロを広げているという直接的な効果もある。

 ましてや羽生は、こういうパスのような手で相手の悪手を誘う「大山流」の手渡しをお家芸としており、いかにも指しそうなところだったが、選んだのは▲45歩

 これは早く攻めたいと、逆に羽生があせった凡手で、なにより前田を「ありがたい!」と安心させてしまった。

 不利な局面では、善悪もさることながら、いかに「相手の嫌がる手」を指すかが、人と人の勝負でのキモなのであるから。

 精神的な危機を乗り越えた前田は、勇躍△26金

 

 

 これが好手で、先手玉は処置なしになっている。

 ▲48竜と受けるが、△86歩と急所に手をつけ、▲64歩△同飛▲68金△62飛▲86金△66歩▲65歩

 指せば指すほど、先手の陣形がバラバラになって行く。

 そこで△37金と取って、▲同竜△84桂でいよいよ受けがなくなった。

 


 ▲77金打△76桂▲同金寄△67銀とパワーボムの直撃を食らって、ついに羽生はダウン。

 

 

 昇級候補の大本命が初戦に敗れるという波乱。

 それどころか、羽生は2戦目にも57歳のベテラン吉田利勝七段に敗れ、その後8連勝するも8勝2敗。

 またも頭ハネを喰らい、1期抜けの野望は打ち砕かれたのであった。
  

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横歩取り「木村義雄流」の激戦 羽生善治vs前田祐司 1990年 B級2組順位戦

 前回に続いて、横歩取りの話。

 オーソドックスな△84飛△52玉型に、△33桂型、相横歩取りに「中座飛車」。

 超急戦の「青野流」や「勇気流」など横歩取りには様々なバリエーションがあるが、昭和には▲24歩△同歩▲同飛△23歩と打つ手も存在した。

 

 

 以下、▲34飛に△88角成▲同銀△25角

 

 

 これで「オワ」のようだが、▲32飛成△同銀▲38銀で、駒損でも玉形や後手の歩切れを中途半端に手放すことにもなって先手が指せる。

 


 というのが、昭和初期の大レジェンド木村義雄十四世名人の主張であった。

 これ以降、やはり後手が少し無理をしていそうということで、平成ごろからはまったくと言っていいほど指されなくなったが、この形で有名な将棋がいくつかある。

 

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 ということで、前回は米長邦雄中原誠を打ち破り、「六段時代の代表作」と自賛する横歩取り△23歩型の将棋を見ていただいたが、今回も熱戦をどうぞ。

 

 

 
 1990年B級2組順位戦の開幕戦。

 羽生善治竜王前田祐司七段の一戦。

 当時、まだ20歳だった羽生は、半年前に初タイトル竜王を獲得。

 「羽生時代」のスタートに、まずデカい花火をあげたが、次に期待されるのは二冠目のタイトルと、「名人」につながる順位戦の昇級だ。

 羽生は奨励会時代から「名人候補」と謳われてきたが、順位戦では意外と手間取っていた。

 C級2組とC級1組では、どちらも8勝2敗の好成績をおさめながらも、順位が悪く昇級を逃し1期ずつ足踏み。

 しかもC1時代1期目は土佐浩司五段泉正樹五段浦野真彦五段(この期、羽生の頭をハネて昇級)、村山聖五段といった強力な競争相手を蹴散らしながらも、佐藤義則七段剱持松二七段というベテランに敗れて次点に終わった。

 

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 AIどころかネットすらない時代の将棋では、情報が少ないため若手棋士が「完成度」をあげるのに現代将棋より時間がかかり、こういうまさかという番狂わせが、今よりも起きやすい環境だったのだろう。

 まさかの停滞だったが、翌年はその憂さを晴らすかのごとく、やはり室岡克彦、村山聖、土佐浩司、日浦市郎佐藤康光、泉正樹、森下卓という昇級候補だらけのキツイ当たりを10戦全勝でぶち抜いて、格の違いを見せつける。

 さすがの回復力で、次のB2で期待されるのは今度こその1期抜けである。

 その初戦で当たったのが、前田祐司七段。

 前田はB級1組まで上がり、NHK杯でも優勝したことのある実力派だが、このころはB2に降級したりと下り坂。

 まあ、勢いからして羽生だろうと見られていたが、これが波乱の内容となった。

 後手の前田が、△23歩で横歩を取らせて力将棋に突入。

 

 

 図の▲34金がきびしい攻め。

 ▲23の地点が受からないから、前田は△同角と取って、▲同角△33銀ときわどく受ける。

 

 

 △43金と打つのが普通のところ、を手持ちにして反撃のチャンスを待とうということだが、かなり思い切った手だ。

 なんたって、そこで▲43角打が激痛打に見えるから。

 

 

 王手金取りで後手がつぶれているように見えるが、△42玉▲61角成△34銀と取って、△31飛車が良く利いてギリギリ耐えている。

 


 いや、それどころか先手はの行き場所がなく、▲52金△同飛で切れ筋だし困ったかに見えたが、ここから羽生も魅せる。

 

 

 

 

 ▲51金と打つのが、負けじと綱渡りの攻め。

 ▲71馬を見せながら、それを△72銀のように受ければ、今度は▲52馬から△31飛車を目標に右辺へ押しつぶそうと。

 前田は△同飛と払い、▲同馬△同玉▲31飛△41金▲34飛成△92角▲23竜△31金▲27竜△74角打と華々しいドッグファイトを展開。

 

 

 形勢は微差ながら、が手厚く、相手に2枚角を吐き出させたことから、やや先手有利と評判。

 ただ、ここから前田が力を出し、羽生がそれに幻惑されることになるのだから、勝負の流れというのはわからないものだ。 

 

 (続く)

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横歩取り「△23歩型」 米長邦雄vs中原誠 1968年 王将戦

 前回に続いて、横歩取りの話。

 オーソドックスな△84飛△52玉型に、△33桂型、相横歩取りに「中座飛車」。

 超急戦の「青野流」や「勇気流」など横歩取りには様々なバリエーションがあるが、昭和にはこんな手順も存在した。

 

 

 ▲24歩△同歩▲同飛に、△86歩として、▲同歩△同飛▲34飛なら、よくあるオーソドックスな形だが、飛車先を交換する代わりに△23歩と打つ手も存在した。

 以下、▲34飛に△88角成▲同銀△25角

 

 

 飛車取り△47角成が受からず、一見これで「オワ」のようだが、ここから▲32飛成△同銀▲38銀

 

 

 駒損でも玉形の差や後手の歩切れを中途半端に手放すことにもなって先手指せるでしょ。

 というのが、昭和初期の大レジェンド木村義雄十四世名人の主張であった。

 

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 これ以降、やはり後手が少し無理をしていそうということで、平成ごろからはまったくと言っていいほど指されなくなったが、この形で有名な将棋がいくつかある。

 

 1968年王将戦

 米長邦雄六段中原誠六段の一戦。

 後の大棋士が若手時代にぶつかった将棋は、横歩取りから△25角▲32飛成△同銀▲38銀

 △33銀▲68玉に△42玉が米長の新手

 

 

 形のまとめにくい後手陣だが、自らの守備力でそれをカバーしようということか。


 以下、じっくりと囲いあう展開になる。

 

 

 後手はバランスよくかまえてはいるが、が1枚なく、3筋もないので、どれだけ耐久力があるかは微妙。

 一方で先手も、矢倉に組んではいるが、飛車の打ちこみに警戒しないといけないこともあり、神経を使う展開だ。

 ここから中原は▲24歩と打って、△同歩▲23角からこじ開けていく。

 少し進んで、この局面。

 

 

 先手はねらい通りを作ったが、攻撃力がとぼしいのが懸念材料。

 後手の方も、手持ちの飛車がまだ使えず、やはり手の作り方がむずかしそうだが、ここから米長がゆさぶりをかける。

 

 


 △95歩▲同歩△96歩が、いやらしい手。

 ▲同香△86歩で、△41が香取りになる。

 この歩を取れない先手は▲27馬△82飛▲47銀と盛り上がっていく。

 △32玉▲75歩として、後手のの活用を防いだところで△22玉が、米長曰く「図々しい手」。

 

 

 を整備しながら、△23角と活用範囲も増やしているわけだが、金銀の連結がやや頼りなくなる。

 「やってこい」と言われれば乗りたくなるのは勢いで、▲16馬と、こっちからもゆさぶりをかけ、▲55歩をねらう。

 そこで△86歩と1回突き捨て、▲同銀△14歩が後手のねらいだった。

 

 

 思わぬ「地獄突き」だが、 ▲同歩△同角銀取りで、▲25歩と受けたところで、△41角と再度引く。

 ▲14歩と馬取りを受けたところで、△85歩▲77銀△97歩成▲同香△14香

 

 

 これで一歩を入手し、▲15歩に△96歩(!)、▲同香△86歩

 

 

 ▲同歩△96角と、パズルのような手順で、ついに端の香車を取ってしまった。

 しかも、が好位置に飛び出して、先手玉も迫られている。

 だが、後手玉も端と玉頭にアヤがついて相当に気持ち悪く、▲14歩を取られて危険がせまる。

 

 

 

 後手は、ふつうなら△32にいるはずのがなく、も破られている。

 すぐに寄せられるわけではないが、駒を渡すとその反動で一気に倒されるかもしれない。

 攻めるか受けるかむずかしそうだが、53分の考慮の後に指された次の手が米長自身、


 「六段時代の私の代表作」


 と胸を張るすばらしい一撃だった。

 

 


 △98飛と打って後手勝ち

 ▲同玉△78角成と取る。

 後手玉はまだ詰まないから、▲88金と受ける。

 △96香の追撃に▲97香と受けて、△同香成▲同桂

 これで後手の攻めが止まっているようだが、そこでジッと△79馬が米長自慢の構想だった。

 


 この手のなにがすごいかといえば、この手自体が詰めろでもなんでもない

 もう1手、△95香と走っても、まだ詰めろでなく、さらにもう1手△96歩と打って、はじめて一手スキになるのだ。

 つまり、先手玉はここで「三手スキ」ということになる。

 その間、先手は完全に好きなように後手玉に襲いかかれる。

 穴熊将棋のようというか、△95香△96歩までの間に後手玉を仕留めてしまえば勝ちが決まり、後手はそれを避けることができないのだ!

 ふつうなら、そんな局面は先手が勝つはずである。

 自玉を詰みのない形にして、一気のラッシュをかけるというのは終盤戦の必勝パターンなのだから。

 そこに自ら飛びこんでいったというのが、この将棋のすごいところ。

 米長からすれば、後手玉に寄りはないことは読み切ってるんだから、三手スキでも怖くないということなのだが、いやいやムチャ怖いよ!

 だが、現実に後手玉には早い寄せがない。
 
 中原は▲24歩と取りこみ、△95香▲71飛

 △96歩必至がかかったところで▲23歩成△同玉▲21飛成と詰ましにかかるが、△22銀と引くのが正確な受けで詰みはない。

 

 

 どこかで米長が、この将棋の△98飛以下について、しらみつぶしに解説していた記事があったが、膨大な手順が延々と続き目が回ったものだ。

 それを全クリという、おそるべき正確な読みで、若手棋士の「盤上でのスタミナ」のようなものが感じられる、すさまじい将棋だった。

 

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「横歩三年の患い」 木村義雄十四世名人と「横歩取り△23歩・▲32飛成」型定跡

 「タテ歩取り」とくれば、次は「横歩取り」の話をせねばなるまい。

 前回まで、少年時代の藤井猛九段が、


 「長谷部久雄九段のひねり飛車にあこがれていた」


 と語っていたことから、「20歳竜王」としてブイブイ言わしていた羽生善治を破ったこともある「長谷部流ひねり飛車」を紹介してみた。

 

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 その流れで、今回は横歩取り。

 横歩といえば、オーソドックスに△84飛△52玉の組み合わせが、まず思い浮かぶ。

 

 

 また、青野照市九段の「青野流」や、佐々木勇気八段による「勇気流」の激しいたたき合いも有力な戦いだ。

 

 

 私のような平成将棋の世代だと「中座飛車」こと「△85飛車戦法」。

 

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 とか変遷があるわけだが、もう少しさかのぼると、また別の形がメジャーだったりもする。

 それが△23歩型で、具体的には初手から▲76歩△34歩▲26歩△84歩▲25歩△85歩▲78金△32金▲24歩△同歩▲同飛

 

 

 ここで後手も△86歩と交換すれば、▲同歩△同飛▲34飛でオーソドックスな横歩取り。

 ▲34飛に△33角ならよくある形で、かなり少数派ながら▲34飛に△33桂という選択肢も。

 

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 あるいは△88角成▲同銀△76飛の「相横歩取り」もあるところだ。

 

 

 そんな様々なバリエーションを持つ横歩取りだが、昭和のころはここで△86歩でなく△23歩と打つのもメジャーだった。

 そこで▲34飛なら、△88角成▲同銀△25角

 


 いにしえの時代は、これで後手有利とされ、


 「横歩三年の患い」


 という言葉も生まれるなど、「△23歩に横歩は取れない」という時代があったのだ。

 これに挑んだのが、偉大なる木村義雄十四世名人

 △25角▲32飛成(!)と切って飛ばし、△同銀▲38銀

 


 飛車金交換駒損だが、後手は歩切れだし、筋違いの生角を打たせ、自陣に飛車の打ちこむスキもないので、これでやれるはずと。

 木村新手というわけではないが、これで「先手が指せる」という、明確な主張をもって指したのが新しかったのだ。

 定跡書によると具体的には、▲38銀△33銀と形を整えると、そこで▲16歩と突くのが機敏な手。

 

 


 次に▲35金を殺すねらいだが、後手からすると、かなりやっかいな手になる。

 △44銀には▲56角と打つ。

 

 

 ▲23角成を受けて△22飛などとすると、▲26歩が死ぬ。

 ▲16歩に△34角の先逃げも、▲35金でやはり角が詰む。

 △44歩と退路を開いても、今度は▲65角がいかにも味の良いレーザービーム。

 

 

 受けるには△31飛しかないが、▲36歩△42玉▲37桂から駒を前進させ、2筋が立つことも大きく、先手の攻めが続くのだ。

 

 

 定跡の変遷は紆余曲折あるようなのだが、先手側には▲32飛成以外有力手も出現したりして、「先手が指せる」という結論になった。

 これにより△23歩型は、今では、まったくといっていいほど指されなくなったのだ。

 

 (続く)

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ベテラン対20歳の竜王 長谷部久雄vs羽生善治 1990年 王位戦 その2

 前回の続き。

 

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 1990年王位戦

 羽生善治竜王長谷部久雄九段の一戦は、先手の長谷部が変則的なひねり飛車に組んだ。

 



 

 羽生は昨年末、19歳2か月(当時の最年少記録)で竜王を獲得し、

 「羽生時代の幕開け」

 と話題を呼んでいたころ。

 ふつうなら、タイトル獲得はその棋士にとっての絶頂だが、奨励会時代から「名人候補」として期待されていた羽生が、そんなものですむはずがない。

 当然のごとく二冠三冠を求められるわけだが、意外なことに竜王獲得後の羽生はタイトル戦に出られず、順位戦でも苦労を強いられた。

 その理由のひとつとして、同世代のライバルには勝つものの、なぜかベテランの「一発」を食らうことがあり、その思わぬ敗戦で足止めされるのだ。

 かつて、佐々木勇気八段C級1組で苦労していたとき、


 「若手とベテランが戦うと、ふつうは若手が勝つと思われるんですけど、ベテランの先生も強いんですよ」

 「特に経験豊富な《型》にハメられたら抜け出せない。たとえば、島朗先生の矢倉とか」


 そう語っていたが、若き竜王もその「」にハメられてしまう。

 
 羽生は△95歩と仕掛け、以下端を突破。

 

 

 このままだと押さえこまれそうだが、ここから長谷部が強さを見せる。

 

 

 ▲86角と出るのが若々しい一着。

 △同金なら▲同飛で、手薄になった8筋9筋からさばいて行こうということ。

 単に△86同金もあったが、羽生は1回△98歩を入れ、▲同香△86金と取る。

 意味は、を取られたとき相手の成香▲96飛から▲99でなく▲98飛と取らせれば、将来△86桂の反撃があるということ。

 ▲同飛△98香成▲96飛△92香▲94歩△65歩から、いよいよ中盤のねじり合いに突入。

 

 

 ▲同桂△64銀から桂馬を食いちぎって、長谷部陣におそいかかる。

 


 図は△66桂王手金取りに打ち、▲同銀△同歩となったところ。

 次に△76角△67銀があり、それに△85飛△75角など組み合わせられるとうるさいが、ここからの長谷部の指し方が実に落ち着いていた。

 

 

 


 ▲49玉と早逃げするのが、いかにも味の良い手。

 後手の切り札である△66拠点から遠ざかりながら、次に▲38玉と囲いに逃げこめば、先手陣は引き締まって一安心になる。

 羽生は△77銀から喰いつくが、歩切れもあって、やや攻めが単調である。

 アッサリ▲同金と取って、△88角▲69飛△77角成▲79香でピッタリ受かっている。

 


 を逃げていられない後手は△68金と押さえるが、これにもアッサリ▲77香と取ってしまう。

 △69金との交換は、自陣で遊んでいる飛車と後手の攻めのの交換で

 さらには△69金と取った形が相当に悪形で、その瞬間に▲38玉と再度かわすのが、これまた、すこぶるつきに味の良い早逃げ第二弾なのだった。

 

 

 このあたり長谷部の指し手は、自然な手で後手の攻めを翻弄しており、さすがの芸達者という感じ。うまいものである。

 早い手のない後手は△67歩成しかないが、ここから長谷部がキレを見せる。

 

 

 

 

 ▲22歩が、これまた見た瞬間に好手とわかるこじゃれた手。

 ひねり飛車と、ふつうの石田流のちがいは、この2筋攻めの歩を使えるかどうかであって(その代わり△26桂など玉頭を攻められる弱点もあるが)、これがドンピシャリとハマった場面だ。

 △同玉▲41角のような手が生じるし、△同角になるうえに将来△75角のような飛び出しも消えてしまう。

 対応のしようのない後手は、ままよと△77とと取って開き直るが、▲21角が激痛。

 △42玉▲32銀と「玉の腹から銀を打て」の手筋が見事に決まって、後手は収集困難に。

 歩切れを突いた△24香に、▲27桂も変な形だが冷静(▲27歩二歩)。

 

 

 ここでは▲43銀成と取ってなにが悪いのかという話だが、それには△51玉の後にが通って危ない。

 

 

 あわてて▲27桂と打っても、△75角と出られてこれは逆転模様

 羽生の将棋は、各所にこういうワナが仕掛けられているから、勝ったと思ってもゆめゆめ油断などできないのだ。

 2筋を受けられ、今度こそ▲43銀成とされてはたまらないので、△53金とよろけるが、そこで逆モーションの▲23銀成とこっちに成るのがうまい。

 

 

 寄せに行くと見せかけて、返し技を見せてきたところに一転、そこで攻め駒を責める「負けない将棋」にスイッチ。

 この緩急がすばらしく、今回は図面が多めだが、それは我々にも参考になる筋がよく丁寧な手が多いからだ。

 いやあ、勉強になります。

 △51玉▲24成銀と取って、先手陣はまったく怖れるところがない。

 


 後のなくなった羽生は△78飛とおろして「勝手にせい」とやるしかないが、次の手が決め手になった。

 

 


 ▲62歩が、またもやオシャレな決め手。

 △同飛▲71銀で寄り筋。

 

 

 △同玉▲84香△83歩▲91銀から飛車を取って勝ち。

 

 
 なので△52金くらいしかないが、▲61金とロックをかけて、△42玉▲33成銀△同玉▲25桂△24玉▲26香まで、きれいな必至。

 

 

 こんなノーミス100点の将棋を披露されては、さしもの「天才羽生」でも、どうしょうもなかろう。

 57歳長谷部が、19歳タイトルホルダー完勝した名局であった。

 

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「丸田祐三流」ひねり飛車講座 長谷部久雄vs羽生善治 1990年 王位戦

 「こどものころは、長谷部先生のひねり飛車にあこがれました」

 
 そんなことを言ったのは藤井猛九段だった。

 前回、藤井猛が人生で初めて指した将棋で見せた奇想天外な「初手」を紹介した。

 

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 それが書かれていたのは『将棋世界』のある記事。

 そこには藤井少年が影響を受けた戦法が取り上げられており、まずひとつが「大内延介九段ツノ銀中飛車」。

 

 

 もうひとつが、「長谷部ひねり飛車」だった。

 といっても、ここは栃木出身の若手棋士である長谷部浩平六段ではなく、長谷部久雄九段のこと。

 プロ入りが1955年ということで、正直なところ私はよく知らないが、最高はB級1組まで上がり、難解で鳴らす十段リーグ入りも果たしたことがあるという。

 棋聖戦王座戦挑戦者決定戦まで進んだ実績もあり、Aクラスにこそなれなかったが、それに準ずる実力の持ち主だったのだ。

 そんな長谷部は「ひねり飛車」を得意としており、


 「居飛車から振り飛車模様に組むのが新鮮だった」


 藤井も、こどものころの、その驚きを語っていたのだ。

 そこで思い出したのがある棋譜。

 「長谷部のひねり飛車」といえば、ここに語られるべき大金星があったではないか。


 1990年王位戦

 羽生善治竜王長谷部久雄九段の一戦。

 戦型は長谷部が先手で相掛かりから、ひねり飛車に。

 

 

 丸田流ではなく、▲85歩と打って相手の飛車先を止めるオールドタイプのひねり飛車。

 いくつか棋譜を並べてみると、どうもこれが長谷部の好んだ形らしいが、ここではさらに▲58玉型と工夫を見せている。

 ふつうは▲38銀から▲39玉(から▲28玉)と美濃囲いに組んで、その固さで勝負するのが、ひねり飛車の利点のはずだが、対羽生用の秘策であろうか。

 とここで、「ひねり飛車ってなんじゃらほい?」と、それこそ首をひねる方に軽く定跡講座を。

 ひねり飛車というと今ではあまり聞かないが、昭和にはよく指されていた戦法で、その優秀性から、


 「もし、将棋に先手必勝定跡が生まれるとしたら、それはひねり飛車ではないか」


 と言われたほどだった。

 


 その指し方は、まずふつうの相掛かりから、次の手がポイント。

 

 

 ▲36飛△34をねらう。

 ▲24歩△同歩▲同飛から▲34飛なら「横歩取り」だから、この形は「タテ歩取り」と言うんだけど、これも今では聞かなくなった言葉。

 △33金と受けさせてから(△44角として▲34飛と取らせる指し方もある)、そこで▲76歩と角道を開ける。

 次に▲77角とされると飛車先の歩を切れないから、このタイミングで△86歩

 ▲同歩△同飛▲75歩

 

 


 ここで飛車交換を要求しつつ▲75歩の位を取る。

 後手に△33金の形を強要すると同時に、この手のための▲36飛でもあるのだ。

 △36飛と取っては8筋のうすい後手が指しにくくなるから、△82飛と引く。▲77桂△63銀

 

 

 ここまでが、ひねり飛車の入口だが、ここからがおもしろい。

 ふつうは▲85歩と飛車先を止めてから▲86飛と回り、△83歩と屈服させれば先手が成功。

 

 

 それが旧来定跡で、ひねり飛車の創始者とされる角田三男八段も指している形。

 長谷部も羽生相手にこれを選んでいて、もちろんそれでも十分なのだが、ここで次の手が革命的なものだった。

 


 ▲97角と上がるのが、丸田祐三九段が考案した驚愕の一手。

 いや、こんなん△89飛成投了ですやん。ウッカリっすか?

 そう聞きたくなるが、もちろんそんなわけはない。

 △89飛成には▲88角とフタをして、逆に後手が「オワ」なのだ。

 


 以下、先手は▲86飛▲58玉▲68金▲78銀を殺せば、ハイそれまでよ。

 

 

 そしてそれを、後手はどうもがいても阻止する手段がないのだ!

 なので後手は△72金とか△42玉とか、しぶしぶ自陣の整備くらいしかないのだが、そこで▲86飛とぶつけるのが気持ちの良い手。

 

 

 飛車交換はやはり先手有利だから、△84歩と拒否するしかないけど、それから▲76飛とする。

 これで先手は▲85歩と使う一歩手駒にしたまま、後手だけ8筋歩を打たせることができて大得なのだ。

 

 

 この「丸田流」があまりに優秀だったため「先手必勝」説が出たわけだが、ではひねり飛車のなにが有利なのかといえば、まず玉形に差がある。

 先手の陣形は振り飛車っぽいが、ふつうなら後手も左美濃穴熊のような固い形を選べるのに、ひねり飛車にはそうはならない。

 △33金悪形を強いられた後では、うまく守りの駒をまとめられないし、8筋の守備のために金銀をそっちに使わされている。

 一方で先手は美濃囲いが固いし、石田流は通常なら歩切れに悩まされるのに、そのを2枚も手持ちにしているから攻めにも困らない。

 さらには、2筋が切れているので、そこに攻めの歩を使うことができるのも大きい。

 

 

 もちろん、逆に涼しい玉頭をねらわれることもあるが。

 


 だが、それを補ってあまりあるメリットがひねり飛車にはあり、これに対抗するため後手はバランス型から、△32金△42銀として玉を固める方針に鞍替え。

 

 

 これがヒット作となり、陣形差で圧倒するのがむずかしくなったひねり飛車は、やがて「消えた戦法」になっていくが、このときはまだ森雞二九段などが主力として使用しており、現役バリバリだったのだ。

 

 (続く)

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藤井猛九段が将棋人生で最初に指した初手は「元祖 藤井システム」か?

 初手におどろかされることが、時折あるものである。
 
 将棋の初手というのはある程度パターンがあって、基本は▲76歩と角道を開けるか、▲26歩と飛車先を突く。
 
 統計的には知らないけど、イメージ的にはそれこそ95%くらいは、このどちらかが指されている感じだが、中には「お?」となるものもある。

 名人戦で糸谷哲郎九段が披露した▲16歩とか、後手なら2手目に△32金とか。

 

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 探していくと、意外とバリエーションのあった変則初手だが、今回は番外編でこういうのも。

 一発芸というか出オチというか、「なんじゃそりゃ」という手なんだけど、指したのが藤井猛九段

 それも人生で初めて指した将棋の初手といえば、興味のわいてくる人もおられるのではないか。

 なんといっても「藤井システム」「角交換四間飛車」という各種画期的なアイデアの数々。

 

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 また、地味なところでは歴史に埋もれかけた大山康晴十五世名人序盤戦術を現代によみがえらせたりと、棋士から一般のファンまで広く人気を呼ぶ将棋界のカリスマだ。

 小学校4年生のころ。たまたま友達にルールを教えてもらっていた猛少年は、さっそく将棋を指しているクラスメートに声をかけ、仲間に入れてもらう。

 のちの竜王による、人生初対局

 一体どんな将棋を出したのか。やはり振り飛車なのか? それとも、最初はオーソドックスに居飛車から棒銀?

 注目のその初手は……。

 

 

 

 なんと▲78角(!)。

 本人は、駒の動かし方ならバッチリだぜ! と意気ごんでいたが、いきなりの反則負け

 小さい子に将棋のルールを教えると、しばらくはに動いたり、香車バックしたり、二歩とか、ときには三歩の局面があらわれたりと楽しいが、10歳の猛くんもその一員だった。

 当然のごとく、「ルールくらいおぼえてこい!」と仲間からハブられることになったわけだが、それが悔しくてを買い、それに載っていた居飛車急戦の陣形を見て、


 「いくら見ても、居飛車の駒組の意図が分からなかった。玉と角が接近しているし、玉のお尻は空いているし、どう見ても危ないじゃないですか」

 

 

 

 ここで、

 「居飛車=不格好」

 「振り飛車=かっこいい

 と刷りこまれた猛くんは、振り飛車党への第一歩を踏み出す。

 その数か月後には△32金型の中飛車をひっさげ、クラスメートたちにも勝てるように。

 それから長谷部久雄九段ヒネリ飛車(居飛車から振り飛車模様に組むのが新鮮だった)に感動したり。

 

 

 大内延介九段ツノ銀中飛車にガツンとやられ、大の大内ファンになったり。

 

 

 オシャレで颯爽とした塚田泰明九段にあこがれたり。

 

 

 

 

 研修会に入ったり、奨励会試験落ちて


 「このときほどのショックはそれからの人生でもないですよ」


 というくらいのどん底を味わいながらも、プロを目指して研鑽してくのであるが、それはまた別のお話。

 

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変則初手 「△92飛」「△62金」 小泉祐vs上村亘&永瀬拓矢 2011年 新人王戦

 前回に続いて、変則初手で話題を呼んだ小泉祐三段の将棋について。

 初手▲56歩△72金
 


 初手▲46歩
 


 一歩間違えば「舐めプ」とか挑発と取られそうなオープニングだが、奨励会員にとっての大舞台である新人王戦でこれを見せる度胸がすごい。

 

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 2011年の第43期新人王戦に出場した小泉は初戦上村亘三段と当たると、やはり魅せてくれました。
 
 ▲76歩△92飛(!)。
  


 これまでの手も変なものばかりだが、一応△72金棒金にするとか▲46歩なら右四間飛車とか、なんなり生かす手順はあるのだが、さすがにこれはどうか。
 
 先崎学九段が2手目に△94歩から飛車△92△94と活用して△34飛とひねり飛車にしたことはあったが、いきなり飛車寄りはちと露骨すぎるのでは。

 

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 上村は▲96歩と突いて、それをゆるさんと。

 以下、こういう形に。 

 


 おなじみの力戦形だが、こうなると△92飛の1手にほとんど意味がなく、ハッタリ以上の効果は残せなかったかもしれない。
 
 ただ、将棋の方はなんと196手の激戦になり、最後は小泉勝ち
 
 手の成否はともかく、しっかりと結果を出しているのはスゴイもの。
 
 2回戦では永瀬拓矢四段
 
 千日手の指し直しで後手になった小泉は初手▲76歩△62金
 


 もう今さら、おどろきもしないというか、これくらいなら普通の手に見えてしまうくらい。
 
 当時は振り飛車党だった永瀬四間飛車から穴熊にもぐり、玉形の差を生かして185手の激戦を制した。

 途中はこういう形。

 

 
 こうして見てみると、小泉がいつもこんな奇策で戦っているような印象をあたえるが、調べてみると意外とそうではない。
 
 奨励会の棋譜だと、それなりの工夫は見られるが、割と基本通りの戦い方をしており奇抜な初手も鳴りを潜めている。
 
 これは新人王戦限定というか、そもそもがそこでも最初の渡辺大夢三段佐藤天彦四段との将棋では、2手目に△34歩△84歩として、ふつうの形に組んでいるのだ。

 

一手損角換わりの定跡型

 

 

中原誠十六世名人も得意としたオールドタイプの急戦矢倉

 


 
 やはりそこは公式戦に出るなら「目立ってナンボ」という意識はあったのだろう。
 
 これは今回確認できなかったけど、たしか小泉三段には▲98香△34歩▲18香みたいなトンデモ序盤もあったはず。

 

 

 スゴイというか、ここまでくるとハッキリ最善手を放棄しているわけで、もしこれで勝ったりした日にはさすがにケンカになりそうだなあ。
  

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変則初手 「△72金」「▲46歩」「▲58玉」 小泉祐vs甲斐智美&阿部健治郎 2009年 新人王戦

 前回に続いて、変則初手で話題を呼んだ小泉祐三段の将棋について。

 奨励会三段で出場した2008年新人王戦で、▲76歩△72飛

 


 あるいは▲76歩に、△62飛

 


 奇抜な手で、これだけ見ればハッキリ言ってウケねらいにしか見えないが、新人王戦で決勝進出の実績もある中村亮介四段を破ってのベスト8だから甘く見てはいけない。

 

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 翌年も出場した小泉は、初戦で甲斐智美女流二段と当たる。
 
 先手になった甲斐が初手に▲56歩と突いて中飛車を目指すと、そこで△72金(!)。

 


 見たこともない手で、棒銀などの急戦や、穴熊左美濃といった囲いも早々と放棄する形。
 
 こんなところからのスタートでは、せいぜい棒金にするくらいしかなく、実際、小泉はここから角道を開けないまま金を繰り出すという力戦に持って行く。
  
 

 
 そのまま腕力でねじふせて、2年連続初戦突破。
 
 続く2回戦は前年度に引き続いて、中村亮介五段
 
 そんな「舐めプ」みたいな手で2度はやられんぞと意気込んでいたであろう因縁の相手に、先手番になった小泉は初手▲46歩
  

 
 中村亮介はやはり石田流に組むが、先手も右四間飛車から盛り上がって4筋の位を生かそうとする。

 


 後手がそれに反発して激しい戦いになったが、最後は小泉があまして、またも勝利
 
 2年連続のベスト8入りをかけて戦うのは阿部健治郎四段
 
 ここまで相手がすべて振り飛車党だったが、ここにきて居飛車等の阿部と来れば、またも作戦に注目が集まる。
 
 ある程度の「決め打ち」ができる対抗形とは、また違った指し方が見られるかもとの期待通り、初手▲58玉
  

 
 いきなりの仁王立ちで、まずオーソドックスな相矢倉は消えたし、もし意表をついて飛車を振られたら、普通の囲いを作るのも難しそう。
 
 阿部は△34歩から自然な駒組を見せるが、小泉は1筋9筋の両方のを取って大模様を張る。

 

 
 なんだか江戸時代とか昭和初期にありそうな両翼を広げた形は、今ならAIに評価されるかもしれないが、「固い正義」だった平成将棋界では相当異質であった。
 
 将棋の方も、矢倉の堅陣に組んだ阿部がそれを生かした激しい攻めで薄い小泉玉を破壊。

 

 
 「固い攻めてる切れない」という勝ちパターンに対して、小泉の陣形は典型的な「勝ちにくい」もので、奇策は通じず。
 
 ちなみに阿部はこのあと決勝に進出。
 
 アマチュアではじめて決勝に上がってきた加來博洋さんに2勝1敗で勝利し新人王戦に初優勝したのだった。
 

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変則初手 2手目「△72飛」「△62飛」 小泉祐vs中村亮介&菅井竜也 2008年 新人王戦

 初手に変な手を指す人というのがいる。
 
 たとえば、居飛車党に、

 

 「飛車を振ってみろ!」

 

 挑発する▲76歩に「2手目△32金」とか。

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 今泉健司五段が考案で「升田幸三賞」も受賞した、▲76歩に「2手目△32飛」。

 

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 あるいは乱戦ねらいの「2手目△74歩」とか。

 

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 探してみると色々あるが、実はかつて、こういった「初手変な手」では密かな有名人がいた。
 
 それは小泉祐さん。
 
 アマチュアの大会で、アマ名人戦の全国大会などにも出場経験がある人だが、もともとは奨励会に所属しており三段まで上がったこともある強者。
 
 この人が三段時代に、不思議な序盤戦術を見せていたのは一部ファンの間で有名だったのだ。
 
 たとえば、2008年新人王戦
 
 小泉三段は初戦で渡辺大夢三段、2回戦では佐藤天彦四段を倒すという金星をあげて3回戦へ。
 
 奨励会員で2つ勝てば、なかなかの戦果だが、小泉の将棋が話題を呼んだのはここからだった。
 
 3回戦では中村亮介四段が登場。

 


 2007年の第38回大会で準優勝している強豪だが(優勝村山慈明四段)ここで小泉はおどろきの手を披露する。

 

 

 


 ▲76歩△72飛
 

 いきなりの袖飛車宣言。
 
 相手が居飛車等なら、▲76歩△34歩▲26歩△74歩と突いて、以下横歩取り模様の乱戦に持ちこむ指し方はある。
  


 中村修九段井上慶太九段澤田真吾七段あたりが指したことのある形だが、果たして振り飛車党に「初手袖飛車」はどうなのか。
 
 中村亮介はすかさず▲78飛三間飛車にして対抗。

 

 
 昔、▲76歩△74歩とした中村修九段南芳一九段▲78飛と振って対抗したことがあった。

 これは居飛車党の南に「飛車を振らせた」ことで主張がある形だが、振り飛車を得意とする中村亮介からすれば▲78飛自然な手であるので、あまり効果は見込めないように見える。

 



 そこから力戦模様の対抗形となったが、組み上がると、こんな感じに。

 

 

 形勢うんぬんは、よくわからないけど、こうなるなら振り飛車も不満ないように見える。いきなり袖飛車の是非は微妙か。

 ただ勝負の方はこの後、小泉の端攻めがうまく決まって袖飛車勝ち


 中村亮介からすれば、想定外の作戦に力を出し切れなかったか、悔しい敗戦となった。
 
 これで小泉はベスト8進出。
 
 準々決勝で相対するは、こちらも奨励会勝ち上がり組の菅井竜也三段
 
 まだプロ入りこそしてないものの、菅井はすでに「優勝候補」と言っていい評価を受けており(2015年優勝)、どう戦うか注目だった。
 
 菅井の先手で▲76歩に、△62飛(!)。

 


 またしても変則初手。
 
 もちろん、菅井も中村亮介との一戦は知っていたろうから、やってくる予感はあっただろうが、やはりカマしてきた。
 
 飛車先を伸ばさないなら、ねらいたいのは石田流で中村亮介に続いて菅井も▲75歩から▲78飛
  


 以下、やはり力戦風の対抗形になり、激しいねじり合いから、穴熊に組み替えた菅井が最後にその遠さを生かして勝ち
 
 ベスト4はならなかったが、その独特の発想にコアなファンの注目は集まったのであった。
 

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