対戦成績の偏りが、顕著な組み合わせがあったりする。
スポーツなど勝負の世界を見る楽しみに、何勝何敗みたいなデータから、
「この選手はこの選手を苦手としているな」
「こっちより、こっちの方が格上か」
「〇〇はもう、大きい勝負で■■には勝てないだろう」
なんて、あれこれ分析したり、妄想を交わしたりするのがある。
実力は拮抗してるのに、対戦成績ははなれていたり、また強いと思われていない選手が決勝戦など大一番では妙に勝率が高かったりとか、意外な数字が出てきたりしておもしろいのだ。
ただときには、そういう「今の結果」だけでははかれないケースもあったりする。
テニスのノバク・ジョコビッチはデビュー時からその強さこそ認められいたが、今のような「史上最強」にまでなるとは思われていなかった。
アレルギーなど体質に問題があったことがわかるまでは、ロジャー・フェデラーやラファエル・ナダルに勝てず「万年2位」と揶揄されていたものだった。
先日亡くなった長嶋茂雄さんは金田正一さんとの初対決では4打席4三振だったが、その後は打ちこんでいたりとか。
藤井聡太八冠は豊島将之九段に初対戦から6連敗したが、そのあとはタイトル戦などで、たっぷりとお返ししている。
たとえば、森内俊之九段などもそうだろう。
森内はデビューしてすぐに全日本プロトーナメント(今の朝日杯)に優勝するなど、破格の活躍を見せ、この世代が並でないことを最初に示した男でもある。
ただ、棋戦優勝は多いのにタイトルには縁がなく、「無冠の帝王」などという不名誉な称号をもらったりしていた。
初タイトルは、なんと31歳で名人獲得とずいぶんと遅かったが、ここで明らかに「殻を破った」感があった。
翌年の2003年には羽生善治から4連敗で名人を奪われるも、森内はくずれることなく精進。
ここから大逆襲を開始し、同年の竜王戦で中原誠永世十段を破り挑戦者に。
七番勝負では、なんと4連勝で奪取と名人戦のお返し。
羽生のタイトル戦ストレート負けは初めてで、それだけでも大きな衝撃だったが、続く王将戦、名人戦でもともに4勝2敗で奪取し(ちなみにA級でも9戦全勝での挑戦だった)、一気に「三冠王」に輝いたのだ。
この図は2004年、第62期名人戦の第1局。
中盤の戦いに見えるが、なんとこれが投了図。
たしかに先手陣は食い破られ、後手の穴熊も健在で先手がかなり苦しそうだが、それにしてもここで投げるのはビックリ。
羽生の闘志がなえたのだろうか、ともかくも当時の「勢い」を象徴するような図で、今度は
「将棋人生の形勢逆転」
「羽生はもう、森内に勝てないのではないか?」
という雰囲気になったほどで、それほど、このときの森内は強かった。
ただ、羽生もさるもので四冠をねらいに行った王座戦では3勝1敗で返り討ちにし(もし負けていれば、羽生はここで無冠になっていた)、翌年の王将戦では4連勝で奪い返すキビシイお返し。
「やっぱり王者は羽生か」
との声が再燃するも、名人戦をフルセットの末かろうじて防衛すると、これまた紆余曲折あって羽生よりも先に「十八世名人」の座をゲット。
実績だけで言えば、羽生(タイトル99期、優勝46回)と森内(タイトル12期、優勝13回)ではかなり差こそあるが、この
「先に永世名人」
というボーナスポイントは相当なもので、スコア以上に「森内やったなー」と思わせる結果となっている。
勝負の世界では「たくさん勝つ」が偉いわけだが、「いいところで勝つ」ことも、また大事なのだ。